二十三年八月屯田兵条例の改正ではじめて現役三年となり、その後数次の改正を経るが、琴似、山鼻両兵村の現役期間は二十四年三月までの長期にわたった。あと日清戦争除隊日となる二十八年六月までが予備役、三十七年三月まで後備役、さらに補充役となって同年九月屯田兵条例の廃止をむかえ、ここにいたって完全に兵役義務は消滅した。この間予備役満期までが兵制管轄下にあったから、八年入地者で兵役をまっとうした場合、その服役期間は実に二〇年一カ月に及んだのである。
屯田兵として入地すると半年間ほど徹底した練兵教練がなされた。琴似兵村の場合は入地時に銃器がそろわず、当初は伍長だけを対象になされるが漸次全兵員に及び、子弟や養子が兵役を継続する場合も同様で、新規入隊者を生兵と呼んだ。その内容は①銃を持たない時の構え方②銃の持ち方③四段、急装の構え方④射兵の位置(立、膝、伏)⑤照準と発射へと段階を進める。これに密集運動、小隊運動が加わり、気を抜くと危険をともなう厳しい訓練が各練兵場で行われ、実弾射撃は月三、四回射的場でなされた。なお、十三年から練兵方法を新式に改正していく。
生兵期間を過ぎると練兵は主として農事の合間、特に十一月から四月にかけての冬期に行われ、「ツマゴ」での雪中行進、指出し手袋での操銃は寒気のさなか大変な苦業であったという。たとえば屯田兵の『第五期報告』(十二年七月~十三年六月)は次のように述べている。
演兵
十二年十一月ヨリ農隙ヲ以テ、琴似山鼻両所ニ於テ各中隊操練ヲ為スコト二回、十三年一月二分隊鵡川地方ニ於テ鹿猟取締ヲ兼、実地演習ヲ為シ、又大隊及中隊射的演習ヲ為スコト春秋各一回、分隊射的演習ノ如キハ毎月凡一回。
十二年十一月ヨリ農隙ヲ以テ、琴似山鼻両所ニ於テ各中隊操練ヲ為スコト二回、十三年一月二分隊鵡川地方ニ於テ鹿猟取締ヲ兼、実地演習ヲ為シ、又大隊及中隊射的演習ヲ為スコト春秋各一回、分隊射的演習ノ如キハ毎月凡一回。
このように中隊全員の練兵をはじめ、月一回の大隊調練、さらに特別の行軍、分列式、宿泊をともなう大演習等があり、平時といえども厳しい兵務に従事したのである。