明治十年の西南の役に出征、戦死した屯田兵に関し、開拓使は十一年七月、「戦死之者招魂祭ノ義ハ、九段坂上招魂社ヘ合社相成候処、尚北海道札幌へ招魂碑取設度、右ハ兵員ノ志望ニモ相副候義ニ付」(開拓使申奏録 道文一〇七五〇)と招魂碑建立を上申し、政府の許可を得て現在の中央区北六条西七丁目の官有地に建立することとし、翌十二年九月に完成した。
同碑の大祭は同年十月二十七日に行われ、札幌神社宮司ほか三人が祭儀を行い、屯田本部司令官永山武四郎ほか屯田兵、開拓使官員、遺族等が出席した。祭典はのち八月に行われるようになったが、祭典を含めた維持費は祭祀永続金利子および祭典当日の奉納金によって支弁された(札幌県治類典 道文九四九七)。