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開拓使官有物払下の出願

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 明治十年の西南戦争以後、不換紙幣の流通高は激増し、また逆に正貨準備高は激減して、国家財政は深刻な状況に陥っていた。ここに国家財政の負担を軽減することを一つの目的として、十三年十一月に政府は工場払下概則を制定した。そして内務・工部・大蔵の三省および開拓使に対し、その管轄する官有物に関する払下処分の取調べを命じた。その調査期限は十四年六月十日とされていたが、黒田長官はその六月十日、定額満期にも直面して払下区分等の精査は期限まで不可能だとして、その提出期限を七月十日まで延期することを願い出て承認を得た(その太政官承認は七月十六日付である)。
 ところが七月二十一日突然黒田は払下処分の調査にかえて、開拓使の大半の事業を開拓使官員が職を辞して設立する会社に一括払下げを要請する伺書を提出したのである。これは開拓使官員よりの払下出願を受けた黒田が、その払下げの可否を太政官に伺い出るという形をとっているが、実際はその伺書中に「余此輩ニ説諭シ官ヲ解キ一社ヲ団結セシメ別記ノ方法ヲ以テ工場其他ヲ払下」(公文録 開拓使)とあるように、黒田の筋書によるものであった。払下げを出願した官員とは、開拓使大書記官安田定則開拓使権大書記官折田平内、同金井信之、同鈴木大亮の四人であった。
 伺書ではまず払下げの対象者の条件として、目前の利益を追求せざる者、本道の地理人情に通暁せる者、そして従前の開拓使の計画・趣旨を継続しうる者、の三点を挙げ、それに最も適応する者として上記四人を推挙し、かつ「唯恨ムラクハ各員皆従来官途ニ在ルノ身ニシテ資本ヲ備フル能ハス」として、「特別ノ所分」を強く要請しているのである。そして彼らに払下げることにより、「果シテ然ラバ当使積年刻苦経営スル所ノ事業托スル所其人ヲ得テ当初ノ目的ヲ誤ルナク、且当使創業ノ際ニ方リ理政ノ要務ヲ知リ率先無人ノ僻地ニ入リ力ヲ開拓ノ業ニ尽シ頗ル効労アルノ徒ヲシテ理政上ノ変革ニ際シ一朝之ヲ放棄シ多年ノ効労ヲ泡沫ニ属セシムルニ至ラス、実ニ一挙両得ノ処置トスヘシ」と説いている。
 ところで出願した払下げの対象や方法に見積額は以下の通りであった。
一、収税品の輸送・販売の取扱を十五年より二十四年までの一〇カ年間委任(手数料として売捌代金の百分の六の支給)。
二、北海道備米・食塩の購入方の委任(相当の手数料を支給)。
三、本使所属の官舎・船艦・諸工場・地所の払下げ(無利息三〇カ年賦)。
東京・大阪・敦賀の部(会所・官舎・倉庫・地所等に六船舶を含め九件)合金二四万四五七二円五〇銭八厘
函館の部(常備倉・地所等二件)合金 四万六一七〇円九四銭三厘
札幌の部(農牧場・工場・収税庫・地所等九件)合金 五万六八七九円二九銭九厘
根室の部(缶詰所・猟場・牧場等四件)合金 三万九四五九円二六銭七厘
総計金三八万七〇八二円 一銭七厘
四、各地の営業資本金一四万二五〇二円四九銭七厘を年三朱利付五カ年賦上納をもって貸付。
(なお三項中の「札幌の部」のみの払下げ物件をみると、札幌牧羊場真駒内牧牛場、新冠牧馬場、葎草園、桑園蚕室、麦酒醸造所、葡萄酒醸造所、葡萄園、小樽収税庫・敷地であった)。