この
市街大下水は道庁時代にさらに拡充される。二十年の
札幌区内道路開削及び大下水開設の事業により、胆振川から西三丁目通を南北に
大通まで、そこから東へ
創成川まで通るもの、南六条から西二丁目を南北に
大通まで通すもの、この際に胆振川が埋め立てられた。さらに南五条東二丁目から
大通まで南北に通るものが開削された。
これらの下水には板柵をつくり、板蓋で覆った。次いで二十一年の
札幌区内道路改修及び大下水開設では新川の延長を行った。まず北一条西五丁目から北四条西五丁目へ、そこから西へ折れて北四条通南縁を道庁敷地に沿って七丁目、そこから北五条西七丁目へ、さらに西へ延長し、西一〇丁目辺の琴似川支流に流した。また北一条西八丁目から西へ延長し、九丁目の西部、
札幌病院の南西部で同じ琴似川の支流に流した。二十二年から二十三年にかけては、
創成川以東の道路横切りの下水工事を行い、さらに二十三年には南六条西五丁目から西七丁目へ、そこから北へ北一条までの大下水を開削した。これで
札幌県時代に始まった札幌
市街大下水の開削工事は、当初の計画を大きく上回る大下水網として竣工した(各年度の事業功程報告による)。
写真-1 石狩国札幌郡之図(国立公文書館蔵)