『函館新聞』十四年十二月十日付に「豊水吟社」の見出しで、「札幌在官の方々が公務の余暇詩社を結」んで時折会合し、作詩しているとして、同月二十日付まで四回にわたって作品を紹介している。名を連ねているのは井川冽(号東洋・御用係)、加藤重任(鋸峯・四等属)、大島正健(御用係)、三吉笑吾(北溟・六等属)、小野保(梅坪・一等属)、長尾重信(布山・五等属)の六人で、作品はすべて漢詩である。席題を設けて作詩したらしく、「那勃崙」(ナポレオン)、「和気清磨呂」、「平敦盛」の題で数首ずつが紹介されている。
同社も特に文学運動団体という程のものではなく、むしろ趣味の会というべきであろう。このほか開拓使官員等で詩文を残した者はかなりある。中でも開拓判官島義勇は札幌本府選定に関し、「他日五州第一都」の有名な句を含むものをはじめ多くの漢詩を残し、次いで本府再経営にあたった岩村通俊も漢詩・短歌・俳句を多く残している。このほか札幌農学校関係としては、のち「日本風景論」で著名となった志賀重昴ほかがあげられる。
また短歌については、やはり官員等のものが残されているが、五年に札幌に移り住んだ旧会津藩関係の結城国足が、札幌の人たちに短歌を教授し、また「札幌八景の歌」を含む、多くの短歌を詠んだ。