願書の持主重久篤敬は、前出の重久安都男と同一人物ではないかと思われるが、明らかにし得ない。伊藤、石川は共に著名な実業人であり、かつ総代人等の公職もつとめた有力者である。
この願書は三月三十日付で免許を得たが、五月二十五日付で、持主を重久から新たに結成した創成社へとする変更届、及び仮編集人伊藤を除名し正式な編集人を沢口永将とする変更届が、石川から提出された。沢口は嘉永元年(一八四八)生まれの宮城県士族で、五年三月開拓使に任用され、浦河支庁を経て八年一月に本庁会計局検査課勤務となり、十年三月に開拓六等属となった、主として会計業務に従事した人物である(判任官履歴録 道文二三七)。官員としてはこれ以降は確認できないが、当時の戸籍によれば十三年三月に渡島通二五番地に加籍となっており、あるいはこの頃に同新聞編集人となるために官を辞したのかもしれない。同新聞は十三年六月十六日付で創刊された。
写真-12 『札幌新聞』創刊号