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村規約と自治

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 二十八年十二月に札幌ほか九郡長(札幌区長兼務)となった林顕三は、町村組合法旨意書及び標準書を配布して各村内に組合の設置を勧誘した。この組合の目的は規約を制定し、
町村一和、親睦共愛の情を専らとし、町村の規律を正し公共の事業を拡張し、経済の基礎を定め戸口の出入を詳(つまびらか)にし、邑(ゆう)に徒食の輩なく家に無教育の児童なく、協同博愛の心を以て地方を保持し相互公私の利益を増進せしめんとす。

とされている(道毎日 二十九年三月五日付)。林顕三は各郡を巡回した折に熱心に組合の設置を説き、指導にもあたっていたようである。彼がモデルとして作成した町村組合規約によると、二五歳以上の男子の戸主で五〇戸を一組として組合頭を選挙し、組合頭の勤務は以下の一一項とされている(市史 第七巻一〇六二頁。第三項は豊平村組合規約より補訂)。
一 常に組合の共和親睦を計り町村の公益を増進せしむることに共力する事。
二 公共事業上、町村総代人に於て諮問する事あるときは之れに対し意見を述べ又は共力する事。
(三 戸籍に関する届を怠らさらしむる事。)
四 学齢児童の就学を勧誘する事。
五 区町村費賦課法に付帯せる財産価格を調査する事。
六 各自利害を有する法令発布を通告する事。
七 道路の修繕及ひ清潔法に関する事。
八 種痘法の施行を普及せしむる事。
九 伝染病予防に関する事。
十 神社の修繕並に祭典に関する事。
十一 其他町村協議に依て成立すべき事項に関する事。

 以上の一一項を通覧すると、組合と組合頭は行政の行う「百般の事柄を神速(じんそく)に円滑に共同一致の実を挙げんとする」(道毎日 二十九年二月十五日付)、行政の末端機構の位置付けにあったことがわかる。住民の自治的、協議機関的な役割はみられない。しかし、街区や集落ごとに組がもうけられたことは、後の二級町村制下の部制に連なる地区組織の前身が形成されたことを意味し、その意義は大きいといえる。
 林顕三は二十九年三月に豊平村を視察し、二十九日に開かれた豊平ほか四カ村の歓迎会でも、町村組合法につき演説をおこなったが(道毎日 二十九年三月三十一日付)、豊平村では四月六日に豊平村組合規約を締結した。同村の規約は林顕三のモデル規約をだいたい踏襲しているが、組合頭の勤務に「道路掃除及下水浚渫に関する事」を加えている。また組合は二〇戸ないし五〇戸で一組となし、村内を八組にわけている(市史 第七巻一〇六四頁)。
 しかし豊平村の場合、地区組織の組合をつくったのはこれが初めてではない。二十五年に第四区組長、二十六年に第一~五区の組長当選の史料もあり(同前 一〇五二頁)、総代人の補佐機関の役割を備えたとみられる組制度が存在していたことがわかる。白石村では三十年に組長が組内に地租及び戸数割・営業税の切符を配布していたことが知られる(道毎日 三十年十月十六日付)。