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民有家畜数の変化

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 表18は、札幌区札幌郡の十九年より三十二年までの牛・馬・豚数をあげたものである。官営牧場で飼養された家畜が、官の奨励によって次第に民間に普及されていったものである。牛・馬・豚ともに著しい増加傾向を示しているのがみられる。
表-18 札幌区札幌郡民有牛・馬・豚数(明治19~32年)
明治19年156頭6頭628頭1702頭40頭41頭
20966752147615
218836713150320
22101117586195937418
23135110619190648433
24133174589209271424
25218160604216180507
26222215480239568558
2725122753550654414
28398269569260154402
292591595572474
301151454463160
312803122982828142666
323332643502809178583
明治19~28年は『北海道庁統計綜覧』,29~30年は『北海道庁統計書』,31~32年は『北海道庁拓殖年報』より作成。

 さらにほぼ同時期の豊平外四カ村(平岸・月寒・白石上白石村)の牛・馬・豚・鶏数を表19にあげたが、これからも当時の農家の家畜飼養の状況がうかがわれよう。牛は、最初運搬用、農耕用、繁殖用がおもであったが、次第に乳用牛も飼養されるようになった。豊平外四カ村の場合、平岸村吉川鉄之助上白石村菊亭脩季などをはじめとして、次第に牛の飼養に着手し、官からの貸与品より繁殖をはかるようになり、特に牡牛を拝借して改良を行った。また食用牛として牝牛を多く屠殺する習慣があり、ゆえに官からホルスタイン種等乳用牛の屠殺の経済上の不利益について教示があり漸次改革の方法がとられた。また馬は、民間では土産馬である和種が一般であったが、官営牧場が洋種を入れて品種改良を行ったように種畜場等より米国産トロッター種(乗馬用)やペルシュロン種(農耕用)の種牡馬の貸与を受け雑種の飼養等も行うようになった。その結果、牛・馬の和・雑・洋種の比率は二十九年には官民合わせて牛は和種一四パーセント、雑種二九パーセント、洋種五七パーセントであり、馬も和種九一パーセント、雑種六パーセント、洋種二パーセントであった(北海道庁統計書)。馬は、当時の北海道開拓に適合した農耕用の雑種が求められるようになる。
表-19 豊平外4カ村牛・馬・豚・鶏数(明治20~32年)
明治20年8頭?頭?頭?羽
221689028?
253093536?
2630959??
27?553??
28?239??
297292294840
30?283324870
3114296113019
3228505153041
1.明治27年の広島村分村以降はその分を除いた。
2.明治31年以降は豊平,平岸,月寒の3カ村の数字である。
3.『豊平町史資料』(21畜産)による。

 なお養豚・養鶏についても、豊平外四カ村の場合のごとく、農家の副業として二十年代に開始された。そのうち養豚は、生肉・製造用いずれの需用にも応じられ、飼育しやすい中形ヨークシャー種が盛んに飼養され、バークシャー種も取り入れられた。一方山鼻村では二十五年、字八垂別に三万坪の養豚場を求め、牧舎二棟を新築して牧豚協会を設立して養豚を開始した。最初二〇余頭からはじめ、会員宅の四〇余頭をも放牧する計画であった。飼養方法も会員各自の労力に頼り、飼料も穀類、根菜類等各自が拠出することとし、放牧時期も五月より十一月までとしている(北海之殖産)。養鶏の方も、二十年代に農家の副業として他のいずれよりも手軽なことから、卵肉ともに販売用として盛大に行われるようになった(豊平町史資料)。