前編に記したように、十五年に設立された札幌教育会は、道庁設置後まもなく二十年七月に休会となっていた。この教育会構成員を母体に師範学校、道庁関係者の働きかけにより、「教育上全道同志者ノ一致セル集会」(北海道教育雑誌 九)をめざし、二十四年三月に北海道教育会が結成され、機関誌『北海道教育会雑誌』(のち北海道教育雑誌)を刊行した。同会札幌支会設立は二十九年頃から本格化し、三十年春には有志による設立趣意書が発せられてからさらに具体化し、八月一日に発会式を挙げた。同支会は、支会規則第一条でその地域及び目的を「当支会は札幌区及び札幌郡の教育の進歩を図ることを目的とす」とし、事業は「一、本会指定の会務を処理すること。一、学校改良に関して諸般の攻究をなすこと。一、通俗教育談話会幻灯会を開くこと」(北海道教育雑誌 五七)と定めた。同会はその後規則に沿った活動を展開したが、発会後一年間の例会を例にとれば、開催地は区内が四回、豊平村、琴似村、篠路村、山口村、江別町が各一回で、区中よりも村落部にかなりの比重のおかれていることがみてとれる。村落部での例会はもっぱら通俗教育に関するもので、ほとんどが幻灯を行っており、来会者も約四〇〇入(篠路村)、約五〇〇人(江別町)と多数であった。