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下水の整備

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 札幌市街は、もともと豊平川の扇状地の上に位置し、いたるところにメム(湧水)が湧き出て小河川をなしていた。このため飲料水には非常に恵まれていた。しかしその一方、汚水や雨水を排除するための下水道施設の整備は立ち遅れを見、本格的に実施されるにいたったのは二十年代以降のことである。
 二十年九月、区内各町の地主たちは下水溝を開削することを協議した。それは公衆衛生上、また伝染病予防上緊急課題とされたからである。翌月一八カ条からなる下水疎通起工の要領が新聞に発表され、「下水工事は一家一人の私事に非す実に共同の公事なれば各人は自己の利便のみを主張せす善く衛生上の事市街体面上のことを考へて」行われなければならないと、一般の人びとの理解を求めた。下水工事は二十一年臨時総代人会で漸次布設することが評決され本格化した。まず市街中心部の西五丁目以東に縦横に布設されたが、西五丁目以西の下水溝のない場所では下水が滞溜して道路にあふれ、腐敗して臭気が甚しいとの苦情も寄せられた。二十一年中の開削予定路は、一つは西三丁目より大通を折れ創成川に通ずる七五二間、一つは西二丁目に通ずる五六四間と胆振川の埋立て、一つは南五条東二丁目に折れる四四五間となっていた。この当時は木造下水が主であったが、石造下水も布設されるにいたった。二十三年末までに南一条~二条、東各丁目は石造、南三条~五条、西一~四丁目は木造という具合に完成していたが、二十四年予定の南三条~五条西一丁目~四丁目(一七〇〇間余)については費用がかさむことから木造となっていた。
 下水はともすると掃除が行届かず夏期腐敗して悪臭を発することから、二十九年区総代人常集会で下水掃除疏水請負を公立消防組組頭および各部長に命じた。三十二年四月公布の「廁圊下水芥溜取締規則」により、下水の構造、蓋、清掃、塵芥投棄の禁止、共同下水溝の設置義務等を定めた。