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区制の特徴

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 七章からなる三十二年区制の構成を、府県に施行されていた市制と対照したのが表2である。三十二年区制の内容をその時点での市制や三十年区制、それに先行した沖縄県区制と比較研究した鈴江英一は、この特徴として次の七点をあげている(「北海道区制」小論)。
表-2 北海道区制と市制の構成
北海道区制  市制
章款の名称章款の名称
1  総則1  総則
 11~3・区及其ノ区域 11~5・市及其区域
 24~6・区住民及其ノ権利義務 26~9・市住民及其権利義務
 37・区条例及区規則 310・市条例
2  区行政2  市会
 18~20・区吏員ノ組織及選任 111~29・組織及選挙
 221~33・区吏員ノ職務権限 230~48・職務権限及処務規程
 334~37・給料及給与    
3  区会3  市行政
 138~58・組織及選挙 149~63・市参事会及市吏員ノ組織選任
 259~73・職務権限及処務規程 264~74・市参事会及市吏員ノ職務権限及処務規程
     375~80・給料及給与
4  区ノ財務4  市有財産ノ管理
 174~92区有財産及区税 181~106・市有財産及市税
 293~98・区ノ歳入出予算及決算 2107~112・市ノ歳入出予算及決算
599~100区内ノ一部ノ行政5113~114特別ノ財産ヲ有スル市区ノ行政
6101~110区行政ノ監督6115~125市行政ノ監督
7111~118附則7126~133附則
鈴江英一「北海道区制小論」による

 第一に監督官庁の権限が強く、それだけ区の自治権が弱いこと。特に第一次監督官庁である道庁長官に権限が集中し、それは①道庁長官の決定事項を明定する場合、②区規則の制定を規定することによって、その案件を道庁長官の許可事項とする場合、③府県のごとき参事会の設置を欠くため、権限が集中する場合とがある。特に注目すべきは、市制で条例に定めるとしたことが、区制では規則によるとした点で、内務大臣からの権限委譲を含めた道庁長官の権限強化拡大の意図が盛り込まれた。
 第二は執行機関である区長の権限強化である。区政にかかる決定権限の少なからぬ部分を道庁長官が掌握するところであるとはいえ、これを背景として区参事会を置かず独任制をとる区長の権限も強化されている。区長が区会の議長、合議制委員会の長となるなど、区会に対する執行機関の優位性の現われである。区制では国の行政を補完する区及び区長の役割がいっそう明定されている。
 第三は区会の権限の制約である。市会のごとくに、区会が区を代表するとの文言を欠いているばかりではなく、区長が区会議長となることなどによって、執行機関のコントロールを区会が著しく受ける構造になっている。区会の議決事項も制限列挙主義をとり、概目列挙主義の市会とは著しい対照をなしている。市会議決事項のうち、区会議決事項から除かれているものも少なくない。また区会の自律性が制約されている。
 第四は区財政、特に歳入面の強化が講じられている。基本財産に収益目的を付し、道庁長官の蓄積命令を明定し、積立金、継続費、特別会計を認めた点がそれで、区の財政基盤の脆弱性の反映といえよう。公債償還期間を三〇年以内とする市制の規定を、区制では緩和する余地を残し、夫役現品徴収について目的を限定しないなど、執行機関の柔軟な運用の可能性を留保している。それとともに不適当な支出の強制削減など、監督官庁の規制は市制よりも強化されている。
 第五は訴願、訴訟の制限である。たとえば、道庁長官が不適当支出として予算を削減した場合、区会は内務大臣に訴願をすることができるが、行政裁判所への出訴を明定していない、などのことが、財政や選挙に関する条項に見られる。
 第六は公民要件の制限的な設定、名誉職就任拒辞要件の緩和である。区制では住居年限、地租収入額などを市制よりも厳重にして公民要件を狭めている一方、名誉職就任拒辞などに対する制裁条項を市制よりも若干緩和している。公民要件は市制と沖縄県区制とが一致しており、北海道区制が異なっている。この部分に関しては政府当局の考え方──住民の定着困難、土地所有者が必ずしも有産者層ではないとする見解──が反映している。
 第七には沖縄県区制との共通性である。三十年区制は沖縄県のそれと若干の条項を除いて変わりがなく、三十二年区制が、区長の区会推薦上奏裁可制、助役収入役の区会任命など、いくつかの部分において異なっているのみである。両区制が極めて近似した関係にあるのは、その性格を考えるうえで示唆的である。北海道と沖縄県という、全く異なった歴史と社会状況にあった両地方が、中央政府にとっては共通の施策を貫徹させるべき対象とされていた。
 市制町村制は官治的性格を強く持つとされている。その市制よりもさらに監督官庁の権限が強く自律制の弱い北海道区制ではあったが、市町村自治実現にそそいだ道民の多様な民権運動への熱意を黙視すべきでない。市町村自治の要求は道議会開設、帝国議会参政権の要求、そして拓殖推進と常に一体的にすすめられてきた。変則的にしろ北海道区制の実現はその第一段目の成果として評価してよい。一段目の踏台があって二年後の北海道会、その翌年からの衆議院議員選挙、そして町村の自治体化をもたらした。その意味で札幌区の成立に果たした区民の力は北海道の自治権、参政権獲得上も小さくなかったといえよう。
 札幌区の成立は北海道における市町村制整備の出発点であった。三十年区制にみられるように北海道区制と一、二級町村制は法体系上一つの構造的まとまりをもって生まれ、区を単独に造り出すものではなかった。あくまでも北海道全体の地方制度の確立をめざしたものであり、札幌区はその先導的役割を担うことになる。その一方で札幌区は日本の地方制度の中に組み込まれ位置づけられることになった。あまりにも特殊的例外的な行政区画の域を脱し、制約をともないながらも近代法体系に基づく地方制度の中に、その位置を占めることになる。
 北海道区制はその後も改正をみるが、大正十二年(一九二三)の廃止に至るまで基本的性格を変えることはなく、明治三十二年から大正十一年までの二三年間を行政制度上まさに「区制」の時代ということができる。なお、北海道一、二級町村制については第二章三節で触れる。