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初区会

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 区会議員がきまり、初の区会に向けて準備がすすめられた。区を成立させる全般の条例規則の制定が急がれたが、まず議事をどのように始めるか、その規則の検討から取りかからなければならず、第一回区会に付議すべき案件は一七を数えた。独立庁舎を持たなかったので、議場として豊平館を予定したが、日本赤十字社北海道支部(北一条西五丁目)の二階会議室に変更し、区告示一二号をもって開会を衆知したあと、明治三十二年十二月十三日初の区会が開かれた。この記念すべき初日の様子を『北海道毎日新聞』(明32・12・14)は「札幌区会の成立」と題して次のように伝えている。
 (前略)十時より開議。茲に区会は成立せり。当日の出席議員は二十三名にして、加藤支庁長議長席に就き其左右に番外及び書記の二席を設け、蔭山属其他の吏員此処に居り。議員は其前方設けのテーフルに就けり。加藤支庁長は議事に先き立ち一応の挨拶を為し、次で本日九日午後七時内務大臣より、其区々長候補者三名を推選すべしとの電報到達せる旨を報告し、尚ほ議事の進行と其整理を図るが為め、仮会議規則の認定を満場に望むと述べ、書記をして原案を朗読せしめ各員の意見を諮ひたるに、満場一致之を賛し直に確定議となりたれば、議長は更に此仮規則は別に設くる本規則議了北海道庁長官の認可を得るまでの効力を有するものなりとの宣告を為し、夫れより議員の席次を定むる為め抽籤を行ひ、其席次も仮会議規則執行間の席次なりと注意し、各員の抽籤を開きたる(中略)
 右整理付くの間議長は小憩を命じ、午前十時五十分を以て再び会議を開き、蔭山番外をして北海道庁長官の認可を経たる明治三十二年度即ち本年十月より明治三十三年三月に至る当区の収支予算を報告せしめ、尚ほ当予算は法の定むる所に従って編製認可を受けたるものなれども、順序として満場の認定を望むと述へ、満場異議なく之を認定し、次に第一号議案区会々議規則の議事に移ると宣言し、書記をして原案を朗読せしめ各自の意見を問ひたるか、其一読会に於ては満場異議なく、其二読会に於て藤井議員より同規則第十六条但の下に議長の意見若くは議員二名以上の請求に依り会議に諮ひの二十五字を加ひ、議長の意見又は会議の決議に依りの十五字を削るの修正説と、同四十一条の末尾に於ける語句の移動修正説と、同四十七条の匿名投票の云々の所へ記名若くはの五文字を加ふるの修正説出で、何れも修正説のとおりに可決、依って議長は直ちに三読会を開く旨を告げ満場一致之を賛し、即ち確定議となりたれば、議長は午餐休憩を宣告したり。此時午前十一時五十分なりき。
 斯て議員は食堂に入れるか、午後一時再び会議を開き、第二号議案区会傍聴規則を議したるに、本案には多少の異論者ありたれども、結局藤井議員の同則第一条氏名の下へ年齢の二文字を加ふること及び同第三条酩酊したる者の次へ又は未成年者の六文字加ふことの修正説に決定、三読会も無事通過したれば、議長は本日の会議は是れにて止め置き、午前に確定せる区会々議規則を区制第四十二条〔編注・七二条の間違い〕の規定に依り長官の許可を得るまで休会、更に明日を以て開会せんと告げ、尚ほ翌日即ち今十四日の議事日程を宣告したるが(中略)、右の宣告終りて議長は直ちに閉会を告けたるが、時恰も午後一時三十分にてありき。

 右の記事にみられるように、区会の議案であっても道庁長官の許可を必要とする事項が多かった。たとえば右の区会々議規則(議案第一号)についてみると、区の許可申請を道庁では承認したが、別に通牒文書をもって「第四十九条ニ『第三十一条乃至第三十三条ニ違背スル者アルトキハ』云々ト有之、右ハ『第三十条乃至第三十三条ニ違背スル者アルトキハ』云々トスル方可然相認メ候ニ付、時機ヲ見改正候様、区会ニ注意ヲ与ヘラレ度」との指示を区長事務取扱に出している。十二月二十三日付区告示第一四号は「北海道庁長官ノ許可ヲ受ケ、区会々議規則左ノ通定ム」とし、区会の議決がはじめて効力をもつことになる。
 二日目(十二月十四日)は、前日の第一号第二号議案が道庁長官の許可を得たことの報告があり、議長代理選挙、会議録署名議員投票、有給吏員の給料旅費条例、収入役等の身元保証金条例、区会議員の実費弁償方法、公告式規則、学務委員の規則等が議事にのぼった。さらに三日目(十二月十五日)、いよいよ区長候補選挙、助役選挙、学務委員選挙、収入役及び収入役代理者決定、半期退任議員の抽籤を行い、三日間の日程を終了し初の区会は閉会したのである。