第一次世界大戦は大正七年十一月に終結したが、日本軍のシベリア出兵と米騒動、反動不況の到来、小作争議と労働運動の劇化、増税による国民生活の圧迫などによる社会不安が増大していた。
戦後に向け道庁では七年一月五日に、一公共心の涵養、二実業の振興、三金融の円滑、四土地の利用、五実業教育の振興、六実業道徳の向上、七執務の矯正、八労働の改善、という包括的な八大項目をあげた告諭を発し「戦後準備に遺算なきを期」した(北海道庁告諭第五号)。告諭にはあわせて実に詳細な「実行細目」が付されていた。
さらに八年八月十四日には、「戦後の重大なる時局に処し最善の努力を致し以て国運の進展に貢献せむことを希望」する、「民力涵養に関する告諭」(北海道庁告諭第五号)が出された。ここには「実行要目」として五大項目、三三事項があげられている。このように道庁では大正七年以降、国力増強に向けた民力涵養運動の指導と推進をはかっていくことになる。
以上の動向に対して、白石村では六年九月七日に戦後準備実行会がつくられている。同会では①農事改良実行組織の件、②優良品種普及の件、③種子圃田畑改良の件、④貯金組合改善の件、⑤道路保全組合改善の件、⑥青年会組織変更統一の件が協議されており(北タイ 大7・4・10)、道庁の意向に沿いながらも村の実情に応じた改善を意図していたようである。九年三月三日には「教育勅語及戊申詔書の聖旨を奉戴し、時世の要求に鑑み和衷協同の精神を要義とし、民資の充実を図り住民の福利を増進するを目的」とした民力涵養普及会も創設されていた(白石村誌)。
琴似村では八年十一月二十三日に、「各種の団体及組合を通じ民力涵養の趣旨に基き必行要目を協定し村民協力実行を図る」目的で民力涵養実行協議会がつくられている(北タイ 大8・11・23、12・2)。このほか、支庁主催の地方改良・民力涵養講演会も各町村で開催されていた。しかしながら「民力涵養」運動は、国家目的にそった官製的な上からの指導であり、民間からの自発的な運動でなかったために十分に根づくことなく終息した。