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慈善等の音楽会

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 前巻の時期、特に明治二十年代にはたとえば禁酒主義音楽会のように、禁酒主義普及のために音楽会を開催するなど、音楽鑑賞を主目的としないものが多く、かつ内容も和洋折衷で、本巻の時期もこのような音楽会は引き続き相当数開催された。しかしそれと同時に、本巻の時期の後半に至って、音楽自体を研究し演奏することを目的とするグループが結成されて活動し、また東京などから当時としてはすぐれた演奏家が来札し、札幌の音楽の状況は大きく変わった。世界一流の音楽家の来札は次の巻のこととなる。
 慈善音楽会のうちでまず眼に付くのは孤児院に関するものである。中でも回数の多いのは岡山孤児院のそれで、明治三十三年八月二十九~三十日、三十六年九月一~二日、三十九年七月十二~十四日の三回について、『北海タイムス』に記事がある。しかし記事によると、演奏は岡山孤児院少年音楽隊等によるもので、地元の出演は記述されていない。三十五年九月四~五日開催の濃美育児院音楽幻燈会もほぼ同様と思われる。これに対して札幌孤児院慈善音楽会は三十九年から明治末まで九回を数えるが、これらはほぼ地元の出演である。まず例を三十九年二月開催の会にみると、洋楽器ではバイオリン、クラリネット、バリトン、ピアノのほか、吹奏楽団として「札幌音楽隊、ビール音楽隊、製麻音楽隊、赤帽子隊」(2・16)の名が挙げられているがこれについては後述する。このほか慈善音楽会と銘打ったものとしては北盲学校(明33・6)、濃美育児院(明35・9)、青森県の凶作(明36・2)、日本力行会(明36・2、38・11)、東海丸遭難関係(明38・11)、上毛孤児院、東北三県飢饉救済(明39・3)、日本育児院(明43・10)などが挙げられる。また楽器などは前述のほかオルガン、ハーモニカ、それに男声二重奏(唱)などもあった。
 このほか、この時期には日露戦争と関わる音楽会も多く開かれた。中でも注目されるのは「日英米人聯合和洋音楽会」(総代ジョン・バチェラー)で、「目下日露開戦シ時機ニ付、和洋音楽会ヲ催シ、其収入金ヲ以テ赤十字社並ニ在札幌軍人軍属出征又ハ召集中ノ遺族及恤兵部ニ寄附仕度」(北タイ 明37・3・8)趣旨をもって三十七年三月十二日に開催された。加藤札幌区長が開会の辞を述べているのはこの趣旨によるものであろう。使用された楽器は既述の範囲のものであるが、声楽についてはかなり合唱が加わっているのが特徴であろう。すなわち開会の歌は「日英米三国民男女の合唱もて奏せられぬ」「英語唱歌は日英米人十三人の斉唱にして」「米国々歌は日米英三国の男女に依て合唱せられぬ」「北星女学校生徒四名が英語歌曲を斉唱」(明37・3・15、16)などと記されている。そしてこのうち北星女学校の斉唱については「複音とやら云へる微妙の曲譜」と記されているから、これは合唱であろう。すなわちこの記事中の「斉唱」と「合唱」は明確に使い分けられているとは考えられないが、合唱といえるものが演奏されたことは間違いない。

写真-9 日英米人聯合和洋音楽会開催の広告(北タイ 明37.3.8)

 第二回は同年五月七日に開催された。ここでも声楽については「外国婦人五名、北星女学生四名、外国男子四名、合せて十三名の英語唱歌の合奏」(5・10)と記されており、おそらく混声合唱であろう。この中で目立って活躍し好評だったのはジョン・バチェラーのバイオリンで、ベル夫人のオルガンとの二重奏、「高木夫人」(バイオリン)の加わった三重奏が大きな評判を呼んだ。
 このほか、『北海タイムス』に記載されている日露戦争関連の音楽会としては軍人慰労音楽会(明37・10、札幌教会員等の発起、於二十五聯隊内)、海軍音楽会(同年同月、札幌区キリスト教徒の発起、於創成尋常小学校)、北星女学校出征軍人慰問音楽会(明37・12)、軍人家族救護音楽会(明38・2 札幌亭)、さらに同年四月開催の、奉公義会寄付大演芸会(於札幌座)もその一つであろう。音楽隊については後述するが、軍人家族救護音楽会で「斯道の名手なる四竈訥堂氏のバイオリン、横笛、クラリネット等」(明38・2・21)とあり、四竈という人物が当時かなり活躍していたらしい。なお三十七年十一月の札幌孤児院慈善音楽会で、四竃は月琴、マンドリン、クラリネット、バイオリン奏者として出演している。
 また新聞でみる限り、主催・中心活動者はキリスト教が主体だったようである。これは英、米国が日本を支持していること、および洋楽は英米人を含むキリスト教徒が主要な担い手であったことによるのであろう。