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仏教青年会

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 仏教青年会は、これまでにも本願寺派に仏教青年会が明治四十二年に設立されていたが、大谷派にも札幌仏教青年会(会長阿部由太郎)の創設をみる。大正四年九月七日より十三日までに、東本願寺別院では宗祖親鸞の六五〇回大遠忌法要が法主の大谷光演を迎え盛大に執行されたが、その記念事業として創設されたもので、九月十一日に発会式が行われている。毎月十三日に南三条説教場にて講演会の例会がもたれ、地区割の六部から構成され各部ごとに別に例会が開かれており、会員総数は五年で二七〇人であった(北タイ 大5・1・16)。
 この札幌仏教青年会では、大正五年三月十八日に訓育部を開設した。これは札幌豊平町の湯殿山にて毎週月曜日に二時間、「満六歳以上の貧民の子弟を会合し精神感化を為す事とし、且簡易なる文字の読み方、書き方及び普通簡易なる計算方を教授」するものであり、開設時の児童は六一人であった(北タイ 大5・3・15、18)。同町には就学できない細民の児童が多かったからである。六年には、水車町に札幌仏教青年会附属児童訓育所として多数の寄付を得て校舎も建設され、九月十一日に落成式が行われた(北タイ 大6・9・12)。これにより授業も隔日に三時間となる。六年九月十一日に校舎も建てられ落成式が行われている。
 本願寺派札幌仏教青年会は、大正四年五月に創設五周年記念を迎えていたが、その後、「一時隆盛を極めしが現今稍不振の状態にあれば、今回之が振興策を図り将来大いに一般青年の精神運動に努力せんと目下会員募集中」とされて、振興の第一回総会を十四年五月十七日に開催していた(北タイ 大14・5・16)。なお、後年の規約によると同会の目的は、「真宗本願寺派ノ教義ヲ信奉シ王法為本ノ宗風ヲ実践シ以テ皇国青年ノ本分ヲ完(マツト)ウスルニ在リ」とされ、事業を宗教及び文化一般に関する講座、行事訓練、その他の必要なる事業としている(寺院教会規則認可干係)。その他にも本願寺派では明治四十二年に、北八条東二丁目の本願寺説教所にて仏教同志会を組織し、講演会を中心とした毎月の例会を開いて大正初期には盛んな活動を行っていた。
 経王寺内には大正十一年に立正青年会が創設されたが、「永らく不振の状態にありし日蓮主義立正青年会を復興し、民衆教化に尽力する目的」で十四年八月に復興されている(北タイ 大14・8・3)。国柱会を創設した田中智学も十四年五月三日の講演会の講師となっていた。日蓮宗では昭和三年に正中教会(南1西8)にて清正公青年団(せいしょうこうせいねんだん)が創設され、同年度の事業には文芸部、体育部、宗教研究部の設置、機関誌の発行、共同積立金のことなどが予定されていた(北タイ 昭3・2・23)。
 大正十五年十一月十四日に中央寺にて発会式を挙げた北辰仏教青年団は、十四年秋に創設された参禅会を許に生まれたものでその目的は、「仏陀の福音宣揚並に団員相互の親睦・修養」にあったといい、活動としては参禅、仏書の研究、読経の鍛錬などであった(北タイ 大15・11・14夕)。団の総裁には尾崎文英(中央寺住職)、団長に浜田和三郎(弁護士)、副団長に佐々木小太郎(秋田物産館主)が就任し団員は三〇〇人、宣伝部では雑誌の発刊も計画し、「禅宗の主旨を体して皇室中心主義を奉じて現下悪思想界浄化のために奮起するとのこと」であったという(樽新 大15・12・3)。
 以上は宗派、寺院に附属した青年会であるが、昭和六年に妹尾義郎により創設された社会主義仏教運動の組織である新興仏教青年同盟の札幌支部も昭和九年四月に創設されていた。会員は機関誌『新興仏青の旗の下に』『新興仏教』の誌友一一人という僅少なグループに過ぎなかったが、新興仏教青年同盟は治安維持法に違反するとの理由で弾圧を受けることとなり、十二年十二月三日に札幌支部の責任者も検挙されていた(十三年三月に起訴猶予処分、堅田精司編 北海道社会文庫通信 第二〇三号)。