そして、市制一七七条と附則の「北海道又ハ」の五文字を削除する修正意見が出され、採決の仕方もからんで委員会は混乱した。この意見が通ると、沖縄県で市制は施行されるが、北海道は不可能になる。委員会は速記を何回も中止し、非公式の話し合いが繰り返され、ついに採決となった。議事録には次のように記録されている。
・委員長(公爵近衛文麿君)……ソレデハ政府ノ原案ニ就テ採決ヲ致シマス。政府ノ原案ニ御異議アリマセヌカ。
(「異議ナシ」ト呼ブ者アリ)
・委員長(公爵近衛文麿君)多数ヲ以テ政府ノ原案ヲ可決イタシマス
(「異議ナシ」ト呼ブ者アリ)
・委員長(公爵近衛文麿君)多数ヲ以テ政府ノ原案ヲ可決イタシマス
(同前)
通例によれば、委員会で可決された法案は本会議を通り成立する場合が多いから、この時点でいよいよ札幌市の誕生が近づいたことになる。しかし、採決後も委員会の非公式の話し合いが続き、最後に「百七十七条ハ、其当時御委託ニナリマシタ通リ、其儘ニ委員長ハ報告イタシマス」との発言をもって委員会は散会となった。委託の内容が何であったかは速記中止のため議事録に記載がない。
翌日、貴族院本会議に市制中改正法律案は「可決スヘキモノナリト議決セリ」と特別委員長から報告され、議事に入ると湯浅議員から修正案が提出された。それは二点からなり、一つは一七七条の全文を、二つ目は附則中の「北海道又ハ」を削ることである。討論ののち一点目の採決が行われ、政府案が否決され一七七条の削除が決まり、二点目は湯浅修正案に賛成多数で、「北海道又ハ」を附則条文から削ることが決定した(同前 第四四回)。本会議でのこの事態を、前日特別委員会で速記中止の裏で打ち合わせていたわけである。
貴族院修正の市制中改正法律案は衆議院に回付され、大正十年三月二十七日の本会議に上程、これに同意することを決定した。こうして北海道への市制適用は認められず、先送りとなった。したがって札幌区を市にする計画は二度目の流産をきたしたが、道会法の不備を補うことで市制は可能であることも明らかになったわけで、今議会で札幌市制の本格的審議がなされた意義は大きい。
原首相は、この議会の招集日に元老山県有朋と会談し、市制改正案を議会に提出することを説明し、山県は同意している。
今期議会に市町村制改正案を提出する考へなる事、及び陪審法案枢密院の議決を経て議会に提案の事を物語りたるに、山県は憲法上の議論もありと云ふも、之に抵触せざる以上は、政府が議会に提案し得る様努むべき旨、枢密院側(副議長)に注意し置きたりと云へり。
(原敬日記 大9・12・25付)
この日記は、北海道での特別自治制に固執してきた明治国家の為政者が、市制のみであれ本州と同じ自治権を北海道住民に容認したことを伝えている。たまたま今議会で改正法案は成立しなかったが、実現は目前にあることを知らしめた。