財政逼迫を抱えた藻岩村の場合、昭和七年の「事務報告」によると、藻岩村は六年四月の一級町村の施行及び住民増加による学校・学級の増設、凶作による税収の落ち込みと救済土木工事の実施などから危機的な状況を迎えていたという。たとえば基本財産の土地売却代金二万円のうち、一万七〇〇〇円にて新設小学校の敷地購入、基本財産の現金五〇〇〇円に予算一万三七〇〇円を加えて円山小学校の増改築、その他各種新設・修繕工事に八〇〇〇円、救済土木工事として国道の排水溝工事、村道改修などに三七〇〇円を要していた。特に基本財産の支消は深刻であった。事務報告も「今後ノ村経済ハヤガテ増税ニ待タザルベカラザル期運ニ向ヒ、村財政上漸ク危期ヲ孕マントスルニ立至レリ」と述べている(昭和八年九年会議録議案書)。
この藻岩村の財政逼迫については、報道でも以下のように伝えられている。
札幌市外藻岩村の財政は極度に窮迫を告げて来た。その原因は札幌市の発展に伴ふ施設のためで、過去に於て共有財産三十数万円を売却し発展に順応して来たが、之の金額も数年に支消しつくしたが発展途上に急を要する教育、衛生、火防、交通等の施設に迫られ逐次増税に増税を以ってし、一面基本財産の支消と起債により瀰縫(びほう)し来たったが漸く行きつまり、今や同村は二千八百戸に対し一戸平均約四円余の起債償却負担あり。各種税は已に制限外の賦課をなし、今後は最早財源を捻出するの途は起債か村有財産処分による外ない……
(北タイ 昭11・11・20)
藻岩村では増税、基本財産の売却、起債とあらゆる方途で対応してきていたが、「今や同村の財政難は噴火口に佇立の形である」とされ、危機的な状況にたたされていた。こうした藻岩村の財政窮乏問題が、やがて札幌市へ合併となる遠因となるのである。