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都市計画事業の実施

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 一方同時に決定した都市計画街路事業は、十一年度から七カ年継続事業として実施されることになった。その理由書によると、計画街路のうち緊急に幅員を広げなければならないものが、札幌駅前通の一部(南1西4~南4西4)、幅員狭隘のため交通量が多く、しかもわずかの改良で交通系統を整えることができるものが東八丁目通(南1東7~北2東7)、短区間の新設で貫通して交通系統を整えられるものが白石円山通(南9西7~南9西11)、この三線について都市計画事業として実施するとしている。さらに、交通頻繁で系統上舗装を要するものと、都市美観上改良を要する街路二一路線についても七カ年継続事業の都市計画事業として施行するとし、この経費は二七五万円であった(公文雑纂、内務省告示第五三五号 官報第二九二七号 昭11・10・2)。
 まず十一年には、昭和天皇の札幌行幸と陸軍特別大演習のため急いで工事を竣工する必要があり、請負事業として施行された。それ以降施行された道路区間は表10の通りである。
表-10 各年度の都市計画街路事業
路線名 実施区間

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北1条線 国道4号線藻岩村~西4丁目
西5丁目線 北1条通~北5条通
西5丁目線 北7条中通~北18条通
南6条線 西3丁目通~西4丁目通
西3丁目線 北1条通~南6条通
東2丁目線 北1条通~南1条通
12 南1条線 市道東2丁目~東6丁目線
南2条線 西1丁目線~西7丁目線
南3条線 西1丁目~西9丁目線
南4条線 東2丁目線~西7丁目線
北5条線 西1丁目線~地方費道札幌停車場線西4丁目
西3丁目線 国道27号線北1条市道~北5条
西4丁目線 南4条線~藻山橋々詰
西5丁目線 北1条線~南4条線
13 大通線 市道西3丁目線~市道西7丁目線
北5条線 西5丁目線~市道西15丁目線
西2丁目線 国道27号線~市道南4条線
西7丁目線 市道北5条線~市道南4条線
西4丁目線 藻山橋~中島公園入口
16 西4丁目線 南1条~南4条
各年度『札幌市事務報告』,『札幌都市計画概要』(昭29)より作成。

 十四年になると、都市計画事業の執行について、市会で小谷議員から「時局ハ重大ニシテ総テヲ延期シテ居ル時節ナリ。此ノ機会ニ之ノ事業ヲ適当ナ時期迄延引スルガヨロシカラズヤ、法律的ニ之ノ事業ヲ継続セザルベカラザル理由アリヤ」と、戦争という非常時での事業継続について市長の意向を問うた。それに対し三沢市長は「都市計画事業ハ十七年迄ノ既定計画ナリ、年期内ノ短縮延長ハ規定ニ依リ可能ナリ」と答弁した。この年、都市計画事業は前年度の繰越し分の舗装工事や街路樹植栽を行った程度であった(昭和十四年第一回札幌市会会議録)。さらに五月になると、道庁から補助金が出ないことが問題となった。都市計画事業による舗装工事は、経費総額二七五万円のうち道庁からの補助金三三万五〇〇〇円が盛り込まれていた。しかし初年度の十一年は八万七〇〇〇円は交付されたが、十二、十三年度は補助の指令を受けずに事業を完成させることができたとして、十四年道庁は補助をしなかった。そのためこの事業の財政計画に齟齬が生じた。道庁では都市の道路に対する補助はしない方針を明確にしたので、十四年度は補助が出ないことがわかった。そのため事業継続については経費的齟齬を生じ、十四年度の事業は中止しなければならなくなった。札幌市の瀬田技師は「道庁が補助を認めて内務省に進達し、市はそれに基いて財政計画を樹て事業に着手したのであるから出来得る限り事業の完成に協力を希望してゐる」と新聞に語った(北タイ 昭14・5・20)。おそらく時局問題と補助金問題が重なって事業継続ができなくなり、十八年五月八日、三カ年延長して一〇カ年継続事業とした(内務省告示第二七〇号 官報第四八九三号 昭18・5・8)が、その後戦争はますます度を深め事業はできなかった。結局その工程は四割四分であった(札幌都市計画概要)。
 また十八年八月、都市計画街路平岸通(一等大路第一一号)について、拡張事業が三カ年継続事業として計画され、十九年三月三十一日決定し、四月二十六日内務省から北海道庁と札幌市役所での図面の縦覧が告示された(内務省告示第一九六号 官報第五一八二号 昭19・4・26)。しかし資材・労力不足に加え、その年の二月二十二日閣議決定された「決戦非常措置要綱」(学徒動員の徹底や生活の簡素化などを決めた)のために、一般土木工事の施工ができなくなり着手できなかった(札幌都市計画概要)。