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札幌市部と町村部の特徴

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 第一次世界大戦を経て、札幌地域経済は大きな変貌を遂げた。大戦ブームにより新たな企業の設立、新たな業者の新規参入が相次ぎ、既存企業も高収益に沸き立ったのである。しかし、大戦後の一九二〇年代は、全体として不況色の濃い時代であった。さらに、昭和五年(一九三〇)頃から世界恐慌の波をかぶって、いわゆる昭和恐慌が到来した。第一次世界大戦終了後から第二次世界大戦開始までの時期を一般に戦間期と呼ぶが、本節では、この戦間期における札幌地域経済の動向を概観することにしたい。
 この時期の札幌地域は、どのような産業構造であったのだろうか。各種商品生産価額の産業部門別内訳を表1にまとめた。ここでは、当時の札幌市の数値と現市域を構成する札幌村、篠路村、琴似村手稲村藻岩村白石村豊平町の七町村の数値を掲げた。生産物のなかで最も多いのは工産品であり、全体の七〇パーセントから八〇パーセントを占めていた。次いで農産品が一〇パーセント台を占め、第三位の畜産と合わせると二〇パーセント程度の比重になる。このほか鉱産品、林産品、水産品が小さい比率ながら存在していた。
表-1 生産物総価額
農産畜産林産水産鉱産工産合計
構成比構成比構成比構成比構成比構成比構成比
大12
4,508,991円
13.7%
1,404,852円
4.3%
355,743円
1.1%
115,973円
0.4%
132,604円
0.4%
26,512,859円
80.3%
33,031,120円
100.0%
 13
5,033,527
13.0
1,517,641
3.9
446,001
1.2
70,450
0.2
262,326
0.7
31,246,149
81.0
38,576,094
100.0
 14
5,313,698
14.3
1,572,477
4.2
234,926
0.6
70,805
0.2
844,687
2.3
29,139,575
78.4
37,176,071
100.0
 15
4,640,108
15.9
1,862,520
6.4
230,546
0.8
79,074
0.3
390,976
1.3
21,896,206
75.2
29,118,345
100.0
昭 2
5,238,009
17.0
1,636,868
5.3
245,818
0.8
106,131
0.3
593,153
1.9
22,919,844
74.6
30,740,323
100.0
  4
5,020,795
15.9
1,546,648
4.9
191,211
0.6
130,518
0.4
59,070
0.2
24,546,282
77.8
31,544,023
100.0
  5
2,524,392
9.3
1,153,431
4.3
145,915
0.5
104,718
0.4
40,072
0.1
23,019,131
85.1
27,044,405
100.0
  6
2,456,096
11.6
1,142,211
5.4
243,626
1.1
106,982
0.5
73,280
0.3
17,269,331
81.2
21,262,137
100.0
  7
2,902,704
12.9
1,100,031
4.9
182,995
0.8
111,881
0.5
781,368
3.5
17,206,055
76.2
22,568,182
100.0
  8
4,247,644
15.8
1,333,648
5.0
528,088
2.0
110,046
0.4
1,322,185
4.9
19,281,981
71.9
26,830,237
100.0
  9
3,797,627
12.0
1,397,435
4.4
673,860
2.1
99,517
0.3
743,515
2.4
24,799,979
78.7
31,516,807
100.0
 10
4,293,322
13.9
1,352,318
4.4
572,832
1.9
94,783
0.3
831,543
2.7
24,143,469
78.2
30,891,941
100.0
 11
5,132,873
12.0
1,452,211
3.4
487,576
1.1
89,590
0.2
285,740
0.7
33,459,895
78.1
42,840,273
100.0
 13
7,896,931
11.0
2,605,048
3.6
977,257
1.4
97,827
0.1
2,094,631
2.9
58,127,559
81.0
71,799,253
100.0
 14
10,721,331
11.4
3,014,665
3.2
1,039,696
1.1
376,882
0.4
78,935,111
   83.9
94,087,687
100.0
1.数値は札幌市,札幌村,篠路村,琴似村手稲村藻岩村白石村豊平町の合計。
2.昭和3年及び12年は不明。
3.原資料の数値を集計したために合計欄の数値が各産業の合計と一致しない年もある。
4.札幌市は『北海道庁統計書』各年,町村は第2章5節-表-17より作成。

 ところで表1と同様の数値を明治後期から大正前期にかけて検討した結果、札幌区(戦前期の札幌市に該当)と周辺町村部では産業構造が大きく異なっており、現札幌市域の数値は、これら性格の違う産業構造が相殺されたものであったことがわかった(市史 通史三)。すなわち、札幌区は著しく工業に偏り、町村部は著しく農業に偏っていたのである。そこで、表1の元データを市部、町村部に分けて、それぞれの産業部門でいかほどを札幌市が占めるか、すなわち「市部比率」を調べてみた。表1の各産業部門の市部比率を、大正十四年について計算すると、農産四・二パーセント、畜産四一・一パーセント、林産〇・四パーセント、水産九三・五パーセント、鉱産〇パーセント、工産九四・七パーセント、合計七六・八となる。現札幌市域の生産品のおよそ四分の三は札幌市で生産されていたのである。また、札幌市部は工業に特化し、町村部は農業に特化するという明治後期・大正前期にみられた特徴は継続していたといえるだろう。
 表1では、物をつくる産業のみを対象としていたが、たとえば、商業、サービス業などをも含めた産業構造はどうなっていたのだろうか。職業別人口の面からまとめた表2をみることにしよう。昭和五年国勢調査によるものだが、現札幌市域の有業者のうち最も多いのは工業に従事する者で、次いで商業、農業、公務自由業となっていた。ところが、札幌市部と町村部に分けてみるとまったく異なった結果が得られる。すなわち、札幌市では、商業が第一位で工業は第二位、公務自由業が第三位となる。これに対して町村部では、農業が過半を占め、次いで工業、商業の順となっている。有業者の職業別内訳では、札幌市部が商業、工業に、町村部は農業に特化していたことがわかる。
表-2 職業別人口
農業水産業鉱業工業商業交通業公務自由業家事使用人その他の有業者有業者計
札幌1,706人
2.9%
90人
0.2%
117人
0.2%
16,849人
29.0%
17,278人
29.7%
3,779人
6.5%
11,563人
19.9%
2,940人
5.1%
3,782人
6.5%
58,104人
100.0%
札幌2,231631,335281241418792194,813
篠路村1,436250485627342781,661
琴似村2,580133181556028967983,571
手稲村1,60336176106719228272,112
藻岩村1,3464143946381967481801383,658
豊平町3,83747850362314338611676,951
白石村2,5111339617114430681123,554
町村部小計15,544441073,1702,0308821,64951076926,320
59.1%0.2%0.4%12.0%7.7%3.4%6.3%1.9%2.9%100.0%
札幌市域17,25013422420,01919,3084,66113,2123,4504,55184,424
20.4%0.2%0.3%23.7%22.9%5.5%15.6%4.1%5.4%100.0%
内閣統計局『昭和五年国勢調査報告』(第4巻府県編1北海道)より作成。

 また、市部比率を算出すると、有業者計のうち六八・八パーセントを市部が占め、三一・二パーセントを町村部が占めていた。これは、先にみた生産価額における市部比率よりも低い。言い換えれば、札幌市部は、有業者における比重を上回って生産価額における比重が高かった、すなわち労働生産性が高かったということを示唆している。また、表示はしていないが、男女別の人数もわかるのでふれておくと、有業者合計のうち七三・四パーセントが男子であり二六・六パーセントが女子であった。特に市部では男子が七六・八パーセントと高く、逆に町村部では、六六・〇パーセントであった。札幌市は道内他都市と比べても男工比率が高かったのである(北海道庁内務部統計課 労働統計実地調査結果総括表 第一報 年次不詳)。