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農会

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 以下に、札幌地域の町村勢要覧や地域史(町村史)に依拠しつつ、農業団体の動向を略述する。まず農会について、『手稲町誌』(昭43)は、手稲村農会会則に基づき、農会の目的や組織のあり方を具体的に説明している。すなわち、「本会ハ農業ノ改良発達ヲ図ルヲ以テ目的トス」(第一条)と記し、この目的を達成するための事業として、「一 農業ノ指導奨励及ビ統制ニ関スル施設、二 農業ニ従事スル者ノ福利増進ニ関スル施設、三 農業ニ関スル研究及ビ調査、四 農業ニ関スル紛議ノ調停又ハ仲裁、五 其ノ他農業ノ改良発達ヲ図ルニ必要ナル事業」(第三条)をあげている。さらに、農会組織のあり方については、最高議決機関である総代会の議決事項、会長・副会長・評議員などの役員の任務、及び農事実行組合の代表者からなる業務担当委員の任務について言及している。
 農会の沿革と事業について詳しいのは『豊平町史』(昭34)であるが、ここに収録されている「豊平町農会評議会報告書」を紹介する。まず「事業ノ施行成績」として、「農事講話会、果樹実地指導ノ施行、採種圃経営並ニ種子配布、燕麦供給ニ関スル件、果実蔬菜販売斡旋ニ関スル件、古俵古縄購買斡旋、施肥標準量調査試験、産業ニ関スル組合ノ助長、家畜品評会ノ開催、肥料購入配給、木工品講習会及ビ副業品評会」があげられ、次に「将来ノ施設方針」として、農業経営組織の改善(集中模範農家ノ建設、飼料作物ノ奨励、緑肥作物ノ奨励、家畜品評会ノ開催、種牡牛種牡馬ノ充当、低利資金ノ借入、畜牛ノ共同購入)、及び現今農村ノ施設トシテ緊急ナル事項(産業組合ノ改善発達、産業ニ関スル申合セ組合ノ増設、自作農創設資金ノ借入、映画ノ如キ娯楽機関ヲ与フルコト、農業是ノ設定)が、さらに「農会ノ試験及ビ試作ヲナシタル事業(略)」があげられている。
 『さっぽろ藻岩郷土史 八垂別』(昭57)には、藻岩村農会の沿革や事業について、大正八年四月村農会にはじめて技術員を配置したが、八垂別はこの頃から蔬菜・果樹・苺・花卉(かき)採種などの栽培が行われ、年を追って生産が増大したために、農会の指導業務が多忙であったこと、昭和三年度に施設経営した事業として、「産犢駒品評会ノ開催、茄子・胡瓜立毛品評会ノ開催、病虫害駆除予防、採種園ノ経営、農事実行組合ノ設立奨励、種禽購入配布、養鶏講習会ノ開催、模範畑ノ設置、農事視察」が行われたことなどが述べられているが、とりわけ村農会が農事実行組合の設立を推進したことが注目に値する。その経緯については省略するが、昭和四年から翌五年春までに、大字山鼻村に六組合の設立をみるに至ったという。なお、藻岩村農会は、昭和十三年四月町制施行により円山町農会に改称され、十七年四月札幌市農会に合併された。
 ここで札幌市農会について一言したい。札幌村農会(明33・1設立、以下同じ)、篠路村(不詳)、琴似村(明33・9)、手稲村(明32・7)、藻岩村(明39・8)、豊平町(明40・9)、白石村(明33・4)など、札幌地域の各町村農会はおおむね明治三十年代に設立されたが、札幌市にはながらく農会がなかった。ただ、農事実行組合は昭和十年に七組合が設立されている(後述)から、各町村農会が農事実行組合の設立を推進するという通常のあり方とは違って、札幌市においては農事実行組合の設立が先行し、その連合会(札幌市農事実行組合聯合会 昭10設立)が農会の機能を代行していたものと思われる。それでは、昭和十六年三月に札幌市農会が設立された理由は何か。「札幌市の工業立地の方針に呼応し、銃後農業生産力拡充の線に沿ひ、札幌市農業の躍進的態勢を整へるため」「時局下国民食糧の推進確保に万全を期するの要いよいよ緊切で農会の使命益々重大なるに鑑み、最近札幌市農会設置の問題が具体化」とあるように、また、設立後の主な事業として、農家や空閑地利用の家庭農業への病虫害防除用薬剤の配給、「家庭農業読本」の作成、家庭農業の立毛品評会、食糧増産「農事学校」の開催、小家畜増産講習会、農業報国挺身隊の結成などが実施されていることからみても、戦時体制に即応する動きであったことは明らかである(北タイ 昭16・3・15、17・3・28、樽新 昭16・3・29、7・19、7・29、8・7、昭17・3・3、3・26、昭18・3・21など)。そして、このような戦時体制構築の極致ともいうべきものが、市町村農業会の設立であった。
 すなわち、昭和十八年三月に制定公布された「農業団体法」に基づき、市町村農会と市町村産業組合(後述)を統合して市町村農業会に、道府県農業会、道府県産業組合聯合会産業組合中央会支所を統合して道府県農業会とした。全国的段階の動きについては省略するが、北海道では十八年十二月に北海道農業会(北農)が設立され、その後札幌村農業会(昭19・1設立、以下同じ)、篠路村(昭19・2)、琴似村(同上)、手稲村(不詳)、豊平町(昭19・2)、白石村(昭19・1)、札幌市(不詳)など、昭和十九年の一月から二月にかけて、市町村農業会の設立が続いた。本稿では、戦時農業・農村統制について充分に展開することができなかったが、ここに述べた農業会の設立は、十六年三月に設立された北海道興農公社(本章二節参照)と相俟って、戦時体制の構築を極限にまで推し進めたものであることを指摘しておく。