この争議に関しては、旧小作人の立場からまとめられた、西野用水共有地組合編『円山学田地小史』がある。一方地主である藻岩村(円山町)の役場史料も若干ではあるが残されている。そこで、これらの史料によりながら争議の概要を明らかにしておこう。なお、この学田地は通称「円山学田地」と称されているが、後掲史料では「西野学田地」または「手稲村学田地」と呼んでいる。
円山小学校に手稲村西野の学田地三〇万坪が付与されたのは、明治十七年五月のことであった(三関武治 藻岩村概史)。当初は移住者が少なく、炭焼きを入地させていたが、明治二十六年頃から移住・定着する者が徐々に増加、発寒川から取水して水田の造成にも取り組んだ。この結果、大正末期には水田五〇余町、畑も二〇町を越え、相当の収穫があったようである。
明治三十九年四月、円山村と山鼻村が合併し、二級町村藻岩村が設置された。この際、教育費特別会計制度ができ、大字円山村では、学田地小作料の中から一定金額を教育費に繰入れ、住民の教育費負担の軽減に大きな役割を果たすようになったという。
大正十二年十二月末現在では、藻岩村の円山学校の基本財産は土地一〇七二反(三二万一六〇〇坪)に対し、山鼻学校は五二三反(一五万六九〇〇坪)となっている。同年度の藻岩村の教育費特別会計は円山教育費と山鼻教育費とから成立しているが、その歳入と歳出の内訳をみると表11のようになっている。この表で円山、山鼻の両校を比較した場合、歳入における国庫下渡金や地方費補助金にそれほどの違いはない。しかし、両校で決定的に異なっているのは、円山学校では、財産より生ずる収入として四三八九円が計上され、歳入の約一六パーセントを占めていることである。この金額は、山鼻学校の場合でいえば歳入の約四五パーセントにも達する額である。同年度の藻岩村の戸数は、大字円山村五五〇戸、同山鼻村二二九戸の計七七九戸であるから、一戸当りの教育費は、円山小学校が五一円三〇銭、山鼻小学校が四二円八〇銭、全村の平均は四八円八〇銭となる。円山村の場合、前述のように四三八九円の特別収入があり、これは一戸当り七円九八銭という金額である。したがって、学校の敷地買収と校舎の増築という大事業を実施したにもかかわらず、一戸当りの実質的な教育費負担は四三円三〇銭弱となり、山鼻学校とそれほど変わらない金額となっている。そしてこの特別収入は、昭和元年度(五〇三一円)、二年度(五六〇〇円)とほぼ一定の額で推移しており(北海道札幌郡藻岩村勢一班)、円山小学校に関係する住民の教育費がある程度軽減されたことは事実であろう。
表-11 藻岩村の教育費特別会計(大正12年度) |
区分 | 科目 | 円山学校 | 山鼻学校 | ||
歳入 | 国庫下渡金 | 718円 | 2.54% | 765円 | 7.80% |
計 | 28,228 | 100.00 | 9,802 | 99.99 | |
歳出 | 教育費 | 8,028 | 28.44 | 5,752 | 58.68 |
計 | 28,228 | 100.00 | 9,802 | 100.00 |
『北海道札幌郡藻岩村勢一班』(大12)より作成。 |