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学田地の解放問題

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 そしてこの前後から、学田地の小作人への解放と自作農創設の動きが出はじめてくるのである。賃貸料=小作料の改訂がなされた昭和十一年秋、その小作料は「病虫害ニ依ル被害アリ」との理由で減額されるのだが、そのことを審議した同年十一月九日の第七回村会で、理事者と議員との間に次のような質疑応答がなされている。
九番 小作人ニ於テ自作農創設ノ意志ナキヤ
議長(助役) 前年小作争議ヲ生シタル時調停後ノ手稲村長ヨリ其ノ方針ヲ以テ進ムル意向ヲ聞キタルモ其後何等ノ意志表示ナシ
(同前)

 九番とは進藤勇議員のことであるが、「何等ノ意志表示ナシ」と村側が回答した直後の十二月、学田地の小作人一同は「自作農維持(ママ)創設法ニ依リテ、何卒藻岩村学田地ヲ、低価ニ特売分割解放相成度斎藤銀蔵外二十九名連署シテ嘆願ニ及候也」との「藻岩村学田地特売嘆願書」を佐藤村長に提出した。翌十二年一月十四日、星野毅手稲村長にも「藻岩村有地自作農創設請願書」を提出し、「何卒自作農創設維持法ニヨリテ、自作農ト為シ下サレ」と訴えたのである。この嘆願書はしばらく無視されたため、円山町となった昭和十四年四月二十七日、小作側は再び飯田誠一町長に請願した。
   請願書
我等円山町学田地小作人ハ昭和十一年十二月、学田地ヲ自作農創設維持法ニヨリテ特売、自作農トナシ下サル様請願セルモ、未ダ特売ノ恩典ニ浴スルニ至ラズ、実ニ失望致居候。(中略)何卒事情御涼察下サレ、尚今年ハ小作契約ノ改訂期ナレバ、此ノ際是非自作農創設維持法ニ依リテ特売ノ上、自作農ト為シ下サレ度此段重ネテ請願ニ及候也
                   昭和十四年四月二十七日
                        小作人代表 前鼻松次郎
                              斎藤銀蔵
                  円山町長 飯田誠一殿

 おそらくは、この請願が学田地解放の一つの契機になったものと思われる。