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銃後の公区

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 公区は、前述したように戦時体制をささえるための住民組織として再編されていた。ここで、銃後の公区員が担わされた具体的事例を、昭和十八年の桑園聨合公区第一六公区の『記録簿』を通じてうかがうことにする。まず、当時の桑園聨合公区と一六公区の概要について触れておく。
 桑園聨合公区は、十七年二月一日現在世帯人口調査によると、二八公区、一五六班、二九〇一世帯で、当時一六聨合区中第三位の規模を持っていた。第一六公区内の構成をみると、通称「大学村」と呼ばれている一地区を含み、五班、五四世帯、三一二人からなっていた。ちなみに班規模をみると、第一班八世帯、第二班一一世帯、第三班一六世帯、第四班一〇世帯、第五班九世帯となっている。また、世帯規模をみると、一人世帯一、二人世帯三、三人世帯一二、四人世帯八、五人世帯九、六人世帯七、七人世帯八、八人世帯二、九人世帯二、一〇人世帯一という構成であった。
 この第一六公区の『記録簿』に記されている昭和十八年一年間の公区内における活動を分析した笹森秀雄「ある町内会の一年」(町内会今昔 さっぽろ文庫70)によれば、活動状況は表46のようであった。ちなみに『記録簿』中に記載されている活動事項は三五種類、その活動件数(記述頻度)たるや五二四件を数えるにいたっている。それらの活動事項は、庶務的活動、教化社会的活動、経済的活動、警防的活動、健民的活動、貯蓄納税的活動、銃後奉公的活動、産業的活動の八つの領域に分かれ、これはおおむね表45の公区・聨合公区取扱事項に匹敵する。このうちもっとも活動的な領域は庶務的活動で二六五件、五〇・六パーセントの多きを占める。次いで多いのは経済的活動で一九三件、三六・八パーセント、以下貯蓄納税的活動二三件、四・四パーセント、銃後奉公的活動一九件、三・六パーセント、警防的活動八件、一・五パーセント、教化社会的活動五件、一・〇パーセント、健民的活動二件、〇・四パーセントと続いている。以下それらの活動と婦人班を含めて触れておきたい。なお、公区役員としては、斉藤公区長、南部副長、黒崎幹事をおき、庶務(黒崎)、教化社会(時任)、経済(山崎)、衛生(永井)、銃後奉公(井黒)、警防(鎌田)の六係と婦人班がおかれていた。
表-46 桑園聯合公区第16公区活動状況(昭和18年1月~12月)
 1月23456789101112
庶務的活動
新年公礼会・幹事会・出初式・酒特配3
各種証明の件1691398812
屯田兵生存のこと1
市より調査の件1457222211
聯合公区より調査の件11
市より伝達の件2981381112412222
公区長よりの伝達13
聯合公区長よりの伝達4422362221
各種報告の件1512512631
会計に関する件51781
隣組回覧板の件(戦時体制)111
公区常会の件11
青壮年国民登録の件21配布
役員会の件1
教化・社会的活動
死去に対する香料121
 ラジオ体操に関する件1
経済的活動
物資配給(食)(市及び聯合公区より)1416151710141289231
特配の件31112
清酒特配個人134
衣住物資配給271473108523
金属・銅・鉄回収の件11
鉄道職員石炭配給1
味噌配給店のこと1
警防的活動
除雪励行の件1
婦人演習参加のこと2
防空演習の件131
健民的活動
予防薬注文11
貯蓄・納税的活動
飛行機献納資金の件23
建艦献金の件313
国債・戦争債券・貯蓄・簡易保険などの件1231112
銃後奉公的活動
慰問袋,慰問状発送に関する件11211
勤労奉仕の件2721
海軍志願兵出発1
産業的活動
共同耕作に関する件11111111
勤労報国隊の件1
笹森秀雄「ある町内会の1年」(町内会今昔 さっぽろ文庫70)より作成。