昭和七年十一月、大通西九丁目の北海道社から月刊『北海道』が創刊された。発行人は岩橋貢。創刊号には「文語歌」欄に山下秀之助、小田観螢、酒井広治、芥子沢新之介、谷口波人、土佐民枝、「新短歌」欄に伊東音次郎、並木凡平、代田茂樹、伊藤映児が作品を発表している。さらに「地方風物詩」欄に支部沈黙、更科源蔵、海老名礼太、秋谷静香、岸正夫などが詩を発表し、「民謡」欄に高橋掬太郎の名がある。評論は早川三代治「郷土文学について」、田上義也「ミスレーニアス・ど・あとりえ――音楽に関する断片(A)」、大澤重夫「北海道の文学」などで、「創作」欄に佐藤隆子「雪降る」、三岸好太郎「朝の散歩」が発表されている。三岸の作品は散文詩で、「エルムの大きな木が一杯ある森の中に細い道がどこかに通つて居る。/コツコツと靴の音がする。/秋の冷さを僕はその背に感じた。/灰色の木造建築、時計台の鐘の音は一つ一つ確実に歩く、それは時を貴重に感じさせないのんきさだ。(以下略)」という札幌を描写した風物詩で、晩年の作品として貴重である。
『北海道』がいつまで刊行されたか不明であるが、短詩型文学を組みこんだ総合的な雑誌であり、早川三代治、田上義也など札幌に居住する文化人を中心に編集しているところに特徴があり、来道文化人に頼らない札幌独自の文化を育成しようとする気運がこのころにきざしたことがわかる。昭和七年には国松のぼる主宰の『封度(ポンド)』、北大農学部農業実科発行の『大地』という二一六頁の総合誌も創刊された。