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戦時下の詩

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 日中戦争から太平洋戦争勃発までの間は、主な詩誌は札幌から消えてしまった観がある。そのような状況で昭和十四年に和田徹三の『唐草物語』と村木雄一の『ダンダラ詩集』が刊行されたことは戦時下の収穫であった。
  アカシヤのある海
あかしやの葉にバラバラにされる青
幹と幹のあいだに客船がひつかかつてゐる
行交ふ内火艇は枝を剪る
凾を集めた街の上は煤煙が迷つてゐる
阿波堤を対手にすまい
いつも溺れてゐる
──『ダンダラ詩集』より──

 ダダイズムとシュールレアリスムの手法を用いながら、時代の不安を表出しようとしている詩である。
 昭和十六年六月に創刊された『北方文芸』は総合文芸誌であるが、詩人として伊藤秀五郎、渡辺茂、和田徹三富樫酋壱郎、更科源蔵、小野連司、桜庭幸雄、枯木虎夫、加藤愛夫、石川一遼などが詩を発表した。十七年一月、山雅房から『北海道詩人集』が刊行された。伊藤整と鈴木政輝の「序」があり、伊藤秀五郎、石川一遼、秦保二郎、西倉保太郎、東郷克郎、和田徹三、加藤愛夫、河原直一郎、河邨文一郎、村木雄一、松下文子、小池栄寿、更科源蔵、木村茂雄、下村保太郎、鈴見健次郎、鈴木政輝などの作品が収録されている。抒情詩の一部に戦争賛美があるが、全体的にすぐれた詩が多いのは、既発表の詩を自選しているからであろう。
 昭和十七年九月、小樽から坂井一郎による『木星』が創刊され、札幌から小柳透、笹部幹雄、桜庭幸雄、和田徹三らが参加した。第二次世界大戦のさなか、一切の芸術活動が消滅しようとする中で、戦時色を入れない編集は奇蹟的であったが、四号まで出したところで強制廃刊させられた。
 戦時中の最後の詩誌は、昭和十九年五月創刊の『木雫(きしづく)』である。阿部みつ(戦後に『野性』『核』で活躍する森みつ)、小島まさ代、逢坂瑞穂(戦後は福島瑞穂)など若い女性のみの小グループでガリ版刷りであった。十九年九月、札幌に残されていた最後の四誌『北方文芸』『原稿』『毒牙』『暁雲』が強制統合されて、『北方圏』が大政翼賛会北海道支部から刊行された。一号しか出なかったが、吉田一穂、真壁仁、加藤愛夫などの詩が載った。
 戦時下の文学動向については、赤間武史編纂の『昭和十八年度版・北海道文芸年鑑』(北日本出版社、昭18・6)が詳細な資料を収録している。第一部で「本道文壇の動勢」「本道著名雑誌目録」「本道に於ける文化芸術団体」「本道を取材せる主要出版目録」、第二部で「本年度発表評論」「本年度発表創作」のあとに「随筆」「詩」「短歌」「口語歌」「俳句」「歌謡集」について記述している。映画やラジオの情報もあって、戦時下の北海道の文化事情を知るうえで貴重である。
 このほか戦時下の文学状況については、『北海道帝国大学新聞』(大15・5・14~昭19・3・21、大空社から復刻版全四巻が出版されている)の学芸欄に、小熊秀雄、更科源蔵、竹内てるよなどが寄稿している。