二十五年五月、(新)生活保護法実施と同時に、社会福祉主事の設置に関する法律が制定され、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法の三つの法律を施行するにあたり、その適正を期するために専門技術をもった職員によって運営する社会福祉主事を都道府県および市町村に置くこととし、札幌市に社会福祉主事制度が創設された。機構も、社会課には民生係、児童係、保護係の三係となった。二十六年三月二十九日、社会福祉事業法が公布され、これにより同年十月本庁に福祉事務所が設置され、福祉事務所時代を迎えた。発足当初は、児童福祉法(昭22)・身体障害者福祉法(昭24)・生活保護法(昭21年・改正法昭25年)の三法に基づく業務を行っていたが、さらに三十五年に精神薄弱者(平11 知的障害者)福祉法、三十八年に老人福祉法、三十九年には母子(昭56 母子及び寡婦)福祉法が制定され、いわゆる福祉六法の実現をみ、福祉事務所の役割は一層機能が強化され、業務が多様化した。福祉事務所発足にともない、庶務・民生・保護・施設の四係を設置、生活相談室が新設され、生活相談業務が開始された。なお、社会福祉事業法の制定により、社会福祉主事設置に関する法律は吸収された。二十七年四月、戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立したことから、八月一日、福祉事務所内に遺族相談所が設置された。また、施設係を保護係に統合し、二三出張所に社会福祉主事を常駐させることとし、各出張所長が兼務した。二十八年には、民生係より労政係が独立(同年廃止)、その他の事務を担当する社会係が設置された。生活相談室は、相談係となり、一般生活相談、結婚相談、収容保護者の指導、養老施設への収容措置、放浪者及び行旅病人・行旅死亡人の取り扱いを担当した。さらに同年四月施行となった「母子福祉資金の貸付に関する法律」にもとづいて母子相談員を配置した。三十年四月、これまで各出張所長が社会福祉主事を兼務してきたが、社会福祉事業法の趣旨にも反し、且つ事務処理上において支障をきたしたため、二四人の福祉主事を専従として任命、支所・出張所に駐在勤務させた。八月、これら福祉主事を、事務連絡、保護実施、訓練実施などの理由から本庁に集結(分散型から集合型)させ、さらに所員も増員され、五九人となった。三十一年、二課五係となり、社会課に庶務・社会・婦人児童、保護課に保護・相談係が設置され、母子相談室には母子相談員も増員された。三十二年五月、社会の要望から、保護係を第一、第二、第三係に拡充、強化した。六月より売春防止法に基づく婦人相談員が配置された。さらに、従来商工課振興係で取り扱っていた内職斡旋が福祉事務所の所管となった(レース編み等)。三十六年五月、豊平町の合併にともない、旧豊平町役場に福祉事務所月寒厚生班を置き、豊平川以東を管轄したが、同年八月、月寒分室となった。三十六年九月、局制施行により社会課が独立、厚生局民生部社会課となった。三十八年四月、月寒分室は地域住民の要望から市内白石町菊水に庁舎を建てて東福祉事務所に昇格し、民生部に青少年課が設置された。八月、老人福祉法が施行された。三十九年七月一日、母子福祉法が施行された。十月、札幌市ろうあ者相談室を設置、週二回の相談業務が開始された。四十二年四月一日より盲人の生活相談のため盲人相談員を配置した。この頃から全国的に高齢化社会を迎えたことから札幌市でも十一月、政府の高齢者再雇用政策の一環として、中央福祉事務所内にも札幌市高齢者等就職相談室を開設した。四十三年四月、東福祉事務所に月寒分室を開設した。五月、機構改革により厚生局は、民生局と衛生局に分局され、民生局は社会部及び保険部を管轄した。四十四年四月十五日、札幌市の人口増加から北福祉事務所が設置され、西分室も開設された。また四月より青少年課より家庭児童相談室が移管され、家庭内職斡旋のための相談所が中央福祉事務所内に開設された。十月一日、厚生係が新設され、豊平川河原居住者の移転問題とその後の管理事務を担当した。四十五年四月、東福祉事務所月寒分室が南福祉事務所に昇格した。
政令指定都市移行直前の四十六年度の社会部の機構は、社会課、福祉課、青少年課の三課と、中央・西・北・東・南の五福祉事務所及び長生園(市立養老院)と大きく様変わりしている(福祉事業の概要 昭45、枝元政肇資料)。福祉事務所は、社会福祉の総合的窓口機関であり、相談と保護を要する業務を扱い、生活保護や母子、障害者といった成人福祉等の対策が中心で、児童問題の本格的取り組みは、三十八年頃から青少年の非行が問題化し、翌三十九年、各福祉事務所に家庭児童相談室が開設され、強化された。