ビューア該当ページ

豊平館と札幌郵便局

931 ~ 932 / 1021ページ
 札幌市内には明治期のすぐれた洋風建築が多数あったが、しかし戦後、特に昭和三十年代に入り、札幌の中心部がビル化されていくにしたがい、貴重な建物が失われていく傾向にあった。明治建造物の文化財保護を喚起する契機となったのが、豊平館の移転と札幌郵便局の解体である。
 豊平館は開拓使が明治十三年十一月に賓客のホテルとして建設したものであり、四十三年に札幌区が二〇年間の無償貸し付けを受け、大正十一年に下賜されていた。市民会館の新築にともない札幌市は昭和三十年に、豊平館を大通西一丁目より中島公園へ移転することを決定していた。札幌郵便局の局舎は、明治三十一年に建設された旧札幌電話交換局舎をもとに、四十二年に建設された石造建築であり大通西二丁目に所在していた。しかし、局舎は老朽化と市の都市計画の関係で移転が決まり、取り壊されることになっていた。こうした移転、解体を惜しむ市民の声も多く、また道教委、道文化財専門委員会では昭和三十一年三月に時計台、豊平館札幌郵便局局舎、道の赤レンガ庁舎、北大構内の諸建造物、札幌ビール会社クラブ、以上の六件の由緒ある建物の保存をはたらきかけることを決議していた(道新 昭31・3・22)。
 豊平館の解体と移転工事は三十二年三月に着手され、三十三年七月に復元工事が終わり、北海道博覧会での郷土館、美術館として利用された後は、九月二十日より市営結婚式場となった。札幌郵便局局舎は三十七年五月七日に解体工事が開始され、工事中の六月に旧札幌電話交換局舎に当たる一部が、愛知県犬山市の明治村へ移設することが決まり、また、八月七日には道文化財専門委員会、市文化財保護委員会の有志が保存の要望を出していたが、保存策のないままに工事は十一月に終了していた。明治村には四十年に復元されていたが、四十三年四月には国の重要文化財に指定されているように、札幌郵便局局舎は貴重な建造物であったのである。

この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいないため掲載しておりません。
 
写真-16 明治村に移設された旧札幌電話交換局


写真-17 移築工事中の豊平館