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続く開発

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 人口増加に劣らずすさまじかったのが、札幌の開発ラッシュであり、広がる街並であった。
 市内中心部では、マンション建設がさかんとなり昭和四十五年が第一次、四十八・四十九年が第二次のブームとされていた。札幌駅南口周辺には五番舘の新館(昭47・10・1)、住友生命ビル(昭48・5・2)、さっぽろ東急百貨店(昭48・10・5)、札幌全日空ホテル(昭49・6・5)、札幌ターミナルビル(エスタ、昭53・8・29)などが相次いでオープンし、街並も一新しつつあった。
 郊外でも真駒内の緑ヶ丘、西岡団地、もみじ台団地などの住宅団地の造成が進んでいたが、最も象徴的なのが厚別副都心構想であり、千歳線の新駅、新札幌駅を中心とする厚別副都心新札幌の誕生であった。札幌市では四十五年の札幌市長期総合計画にて、厚別地区に「副都心的商業業務地」の配置がうたわれており、これが厚別副都心構想の端緒となる。四十七年に厚別副都心構想をたて、千歳線の新駅(新札幌駅)の周辺部、約二〇万平方メートルの敷地に官公署、商業施設を配置する構想計画が本格化し、これが明らかになると、副都心周辺の東部地域の開発も連動して立ち上げられてくるようになった。
 東部地域とは四十五年に市街化区域となった大谷地、上野幌、下野幌、平岡、里塚にまたがる約一二六〇ヘクタールに及ぶ地域であり、ここに丸紅商事、国際地所開発、三菱地所などが土地を取得し開発計画をたてていた。乱開発を危惧した市の指導のもとで五十一年に企業七社間で東部地域開発連絡協議会を結成し、上下水道など公共負担問題を調整し、五十二年から本格的な開発に着手する。東部地域には二万九〇〇〇戸、人口一一万人のニュータウン構想がなされていた。
 副都心の方は、千歳線が四十八年九月九日に切り替えで新札幌駅が開業していたが、札幌副都心開発公社が四十九年五月一日の創立総会で発足し、五十年十一月より建設を開始し、商業施設サンピアザが五十二年六月十日にオープンをみる。副都心構想から発展した厚別区は現在、約五万世帯、一三万人を数えている。
 各種の公共施設の土地を先行取得する札幌市土地開発公社も、四十八年三月に設立されていた。