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厚別副都心の形成

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 札幌市では、昭和四十六年(一九七一)策定の札幌市長期総合計画のなかで、多核心的な都市形態を積極的に推進するために、厚別地区と石狩湾新港後背地に副都心的商業業務地区を配置する方針を立てた(長総)。厚別地区は三十四年以来、ひばりが丘団地、青葉町団地、厚別町副都心団地、もみじ台団地が造成、分譲されていた地域であった(概要 昭47、株式会社札幌副都心開発公社 副都心の夜明け 札幌副都心開発公社10年小史 昭59・5)。このうち副都心団地は、自衛隊の弾薬庫跡地を利用して造成され、四十八年十月に「厚別副都心開発基本計画」が発表され、この地域に副都心的商業業務地区として厚別副都心計画が進められることになった(十三期小史)。この地域は、上記の団地造成、国鉄線、高速鉄道(地下鉄)、国道一二号に近接するなど交通の要衝でもあり、大谷地流通業務団地も造成され、さらに野幌文教地区や野幌原始林などのレクリエーション地区にも隣接している地域であった(新長総)。
 厚別副都心基本計画では、基本方針として、質の高い都市的サービスを提供する、公共的空間の創出、都心ビジネス機能の分担、交通ネットワークの整備、公害・災害のない街づくりの五つをあげている。この副都心は、札幌市東部地域に限らず、隣接する江別市や広島町(当時)をも含む将来人口(昭和六十五年時点)五〇万人の副都心的地域センターとして整備される。区役所・保健所などの公共・公益施設の整備は厚別地区の人口が一〇万人を超えるであろうと予測される五十五~五十七年頃を予定した。同様に総合ショッピングセンターは第三セクターにより、第一期としてデパートや総合スーパーなどを五十二年までに、第二期として五十五~六十年までに整備を予定した。そのほか業務施設や交通施設についても六十年頃までをめどとして整備する方針を立てた。

写真-1 昭和57年頃の厚別副都心

 四十八年(一九七三)九月国鉄千歳線の新札幌駅が開業、四十九年五月には、事業主体として公共主導型の第三セクター・株式会社札幌副都心開発公社が設立された。五十二年にはサンピアザ、五十七年プランタンデパートなどの商業施設のオープン、五十六年区体育館、青少年科学館の建設、地下鉄東西線延長部分の営業開始、六十一年には区民センター、図書館、平成元年(一九八九)には区役所、保健所、消防署の建設、二年には札幌社会保険総合病院、新札幌バスターミナルが完成して、当初予定していた施設はほぼ整備された(概要 平3)。