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新たな座標軸を形成した美術館

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 札幌の美術動向において、昭和五十二年の北海道立近代美術館の開館はさまざまな局面で著しい状況変化を促す引き金となった。美術館の機能は専門的な調査研究活動を核として、体系的な構造をもつ質の高いコレクションをつくり、逐次それらをあるテーマのもとに展示(公開)及び教育普及し、人々に広く学習や楽しみを体験して貰うことが基本であるが、コレクションの展示以外に多種多様な特別展を企画して幅広い層の鑑賞に供するとともに、地域の創作活動そのものに直接的に刺激や影響を与え、その進展に寄与することも重要な責務である。
 同館が開催してきた特別展のうち、外国の作家展および美術館展に限ってみても、北海道における美術展史上最大の観客数を記録したゴッホ展(平14)の二八万二六四一人をはじめ、エルミタージュ美術館展(昭60)の一五万三七七人、ボストン美術館展(平1)の一四万五〇五三人などは、美術館がもつ多大な吸引力と同時に地域の人々の美術への関心の高まりを裏付けるものであろう。
 北海道の美術史や現況をユニークな視点から構成した企画展の一方で、大規模な地元ゆかりの作家回顧個展も数多く行われた。前者の主なものとしては、旧北海道立美術館が九回継続開催してきた「北海道秀作美術展」を引き継ぐかたちで始まった「北海道現代美術展」(昭和五十三年から五十七年まで計五回開催)と、その後の「北海道の美術」展(通称「イメージ展」、昭和五十八年から六十三年まで計六回開催)の二つの展覧会が挙げられる。「北海道現代美術展」は「秀作美術展」に比べ、地域の美術情報の収集を充実させたことによって密着度をより高め、より実態に近い状況を浮かび上がらせた点に新味があった。対して「北海道の美術」展は、主催者が課したテーマに沿って作家が選定されその出品作による構成だが、一部の作家にアレルギーを起こさせたとはいえ、そのこと自体のユニークな企画性が新たな創作の刺激となった作家も多く、また鑑賞者にとっても多くの場合、鑑賞の際の一つの目安として有効に機能した点などは評価されよう。
 また後者の作家回顧個展については、片岡球子(昭54)、森田沙伊(昭55)、国松登(昭60)、久保守(昭61)、菊川多賀(昭62)、本間莞彩(平8)、三岸好太郎(平15)、小川マリ(平16)、米谷雄平(平17)などが、これまで紹介された札幌ゆかりの美術家である。なお、片岡球子は平成元年に札幌出身の画家としては初となる文化勲章受章の栄に輝いた。
 北海道立近代美術館の開館に伴い、昭和四十二年に開館していた北海道立美術館は引き続き道立の三岸好太郎美術館として再スタート、一個人の作家の作品を収蔵しその名を冠した個人美術館の道内における先駆けとなった。ここでは三岸作品の展示のほか、三岸を中心にしてその画業の位置づけを検証する企画展も適宜行っており、全国的に高い知名度を誇っている。
 (財)札幌彫刻美術館(本郷新記念館を含む)は、札幌で生まれ育った本郷新が生前、自作の彫刻作品のほかに多くのコレクション(作品)、アトリエ、土地を一括寄贈したのがきっかけとなって作家の没後、本郷新記念館として公開、翌年の昭和五十六年に札幌市が隣接地に開館した。北海道では初めてとなる彫刻専門のこの美術館では、本郷作品の常設展示のほか、隔年に全国の野外彫刻から優れた作品を選んで「本郷新賞」を贈り、受賞作家の個展を開催する「本郷新賞受賞記念彫刻展」や、同じく隔年に道内彫刻家の育成啓発を目的とする「北の彫刻展」も行っている。地域に根ざしたきめ細かな教育普及活動も特色の一つである。彫刻家の個人美術館としては、ほかに本田明二ギャラリー(私設)が平成十五年に開館した。
 昭和六十一年にオープンした札幌芸術の森の大きな特色をなす野外美術館は、平成二年と十一年の二回にわたる拡張を経て、現在七・五ヘクタールの敷地に国内外の六五作家七四点の作品が配置されている。札幌芸術の森美術館は、その芸術の森オープンから四年後の平成二年に開館した。同館はロダンに始まる国内外の近・現代の彫刻をはじめ、札幌ゆかりの作家の作品を系統だてて収集・展示し、同時に主としてこれらに関連する特別展を逐次実施してきた。ほぼ隔年開催の「北の創造者たち」展のように、多様な現代美術の動向を独自の切り口で示す展覧会を企画、実施していることも特色といえる。それらのうち過去の回顧個展でとりあげられた札幌ゆかりの作家は、本田明二(平3)、小谷博貞(同年)、一木万寿三(いちきますみ)(平4)栃内忠男(平5)、栗谷川健一(平6)、鎌田俳捺子(ひなこ)(平7)、国松登(平7)、伊藤正(平8)、伏木田光夫(平9)、菊地又男(平10)、八木保次・伸子(平11)、亀山良雄(平14)、阿部典英(平15)、丸山隆(平16)である。
 旧北海道立美術館の誕生した昭和四十年代前半からは、札幌市内のギャラリー事情も好転に向かったことも見逃せない。既設のギャラリーが増設されたケースに加え新設も相次ぎ、ホテルや企業に併設されたものも含めると展示壁面はそれまでのおよそ三倍にも広がったといわれる。この傾向は五十五年前後からますます強まり、美術家自身の個展志向を後押しすることにつながった。
 また五十七年開設の札幌市民ギャラリーの開設によって、それまで五年間北海道立近代美術館を会場としてきた公募団体にとっては、より広い展示スペースを使うことが可能になったため、このギャラリーの開設と同時に移動、現在に継続されている。