2 われらが国を引っ張っていこうという気概の籠った「緒言」

 「緒言」の執筆者は、1915年5月、世界で初の人工ガンを作り、ガン研究の先駆者として“幻のノーベル受賞候補者”といわれた当時22歳の山際勝三郎(1863-1930)です。上田郷友会を創設し、『上田郷友会月報』という雑誌を発行しようとした願いと目的を記した「緒言」になっています。内容は、“幻のノーベル受賞候補者”といわれた人にふさわしい自信と気概が籠もった願いが綴られています。
 文学、技芸、農工商が隆盛し、切磋琢磨する世のなかで、自らを律し、国の独立を維持することは容易なことではない。眼を世界に転じると、日本は東洋一の孤立国になっている。国思う者として、欧米各国をしのいで日本の名を世界に輝かせるためには、文学、技芸、農工商の進歩をなさなくてはならない。そのための努力をしなければならない。そのためには、まず国を作る郡や村の隆盛を図らなくてはならない。その隆盛如何で国の隆盛は決まる。だからそのための各郡村間の競争が必要だ。上田学友親睦会上田郷友会)を創立した目的は、そうした競争をするためであった。上田学友親睦会は、松代松本の上にたち、さらに薩摩や長州、土佐、肥後を「臀下ニ置」いて国の隆盛を果たそうと思う。互いにそうした競争をしようではないか、と。
 しかし、そんな願いをもっていたにもかかわらず会自体は存亡の危機に直面していました。何とかして会を維持し、発展させなければならないとして考え出されたのが「雑誌(上田郷友会月報)ヲ発行スル」ことでした、という経過を述べて「緒言」を閉じています。
 編集委員は、山際のほかに小河滋次郎(監獄制度改良と方面委員制度の創設者)、勝俣吉郎(上田市長)、村上浩、中島弥の5人です。
 戦後の発行は、昭和21年(1946年)1月より始まりましたが、戦前の体裁とは異にして現在まで発行されています。
 なお、『上田郷友会月報』は、上田市立図書館によって『上田郷友会月報目録 郷土関係記事索引』(1976年)とした件名目録が作成され、閲覧には大変便利になっています。保存されていた史料の活用方法が未知の時、作成された件名目録は史料活用の点からも優れものといえます。