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山城が平城に変わる時代を先駆けた名城で、川中島の合戦時、武田信玄が山本勘助に命じ築いたとされる。城の名は、海津城、待城城(森忠政)、松城(松平忠輝)と変遷、松代藩真田家藩主三代幸道の時代に松代城となった。北を流れる千曲川を自然の要害とし、最奥部に本丸を配し、南東側城下に向け曲輪(くるわ=城のまわりに築いた土や石の囲い)を巡らした城構。天守閣は無く、城内には門、櫓、御殿などの建物、土蔵、作業場などがあった。昭和五十六年、真田邸(新御殿)とともに国の史跡に指定された。往時を偲ばせる太鼓門、本丸大手の櫓門、本丸裏口の北不明門、本丸や二の丸の出入口の石垣、内堀、土塁、埋門は、平成十六年までに修理・復元されたもの。同十八年、(財)日本城郭協会の「日本百名城」に認定。桜の名所として知られ、四月中旬頃、城内は満開の桜で彩られる。