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今回岩村御料局長に随行して当地へ来ました処(ところ)が、局長から生徒に何か話せと言ふことだから聊(いささ)か山林学校に就ての話を致します。
我日本にては明治15年に始めて山林学校を東京西ガ原に設けられたのであるが、設立当時学校を設ける位置に就ての評議を致したに、山林学校は森林のある山の中に設けた方が宜しいから、木曽が適当の地であると云ふ事であつたけれども、不幸にして当木曽に設ける事が出来なかつたのである。夫(そ)れは何かと申せば教員がなかつた。あつても木曽は山間であるからして行つてくれる人が無と言ふ様な訳で、遂に東京に設けられた。後農林学校となり、今日ではそれが農科大学となったのである。
抑(そもそ)も林業と云ふものは理屈のみでは行かない。即ち山中に入り実地に就て攻究(こうきゅう:学問や技術などを修め究めること)せんければ林業の発達を計ると云ふ事は出来ない。故に山林学校は森林のある山に就て居(お)らねばならぬ訳である。彼(か)の欧州諸国にても山林学校は森林のある場所に設くるのが通例となつて居ます。我日本でも山のない都会の地よりも山中が適当であるからして、是非山中に欲しいと云ふて居(お)つたが、幸にして此度当木曽に於て山林学校が設けられ、林業専門の生徒を養成する事になつたのは、国家の為め実に喜ぶ訳であります。
抑も木曽の森林と云ふのは実に立派な森林であつて日本には外にない。又欧州にも森林は沢山あるけれども、樹木に就ては木曽立木の如(ごと)き良材はあるまい。つまり外国にては良樹種が少くして、我国では殆(ほと)んど度外視して居る樅(モミ)・唐桧(トウヒ)・白桧(シラベ)・山毛欅(ブナ)と云ふものが重要視されて居る様な訳で、樹種林相(りんそう)に於ては先づ世界無比と云ふても、敢て憚(はば)からないであろうと信じます。そこで又この木曽に於ける伐木運材の方法が完全であると言ふても先づ世界第一であると言ふ事は、唯(ただ)今御料局の顧問をして独乙(ドイツ)「シュルリング」と云ふ人が、木曽の森林を視察した復命中に斯(こ)ふ云ふ事が言ふてある。「木曽の如(ごと)き森林、及び木曽に於ける如き運材の方法を実行して居る所は、まあ世界にあるまい」と。人間の才智に至りては多少の差はあるけれども、此の如き森林は殆んどない
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と云ふ事であつた。
先つ此の様な樹種林相及び其他実地に就きても、研究する材料が沢山備つて居る所に山林学校を設けたのは実に喜ばしき事である。幾等(いくら)森林があつても、樹種は悪し運材の便が悪くつて利用の道が講ぜらねば、所謂(いわゆる)宝の持腐されと云ふものであるが、当校は実に学理を研究し、これを実地に応用して林業を行ひ学ぶ場所に就いて便利の処(ところ)である。斯様(かよう)の場所に設けられてあるからして、林業に関する色々の智識を得、経験を積むことが出来る訳である。それだからして日本の林学者にならうと思ふものは、皆此(この)学校に来て学ばんければ、真の林学者となることは出来ないと云ふやうになるであらうと思ふ。そこで之等(これら)のことは、諸君は先生より最早(もはや)習ひ得て居ることでありましやうが、林業は素より保続(注10)の経済と云ふことが大切なる原則である。木を伐りては跡に植付が第一である。再び木を植えることが出来ないようになつてはならぬ。忘れない様に植える時に能(よ)く考へて植なければならぬ。又伐る時分にも考へて伐らねばならぬ。夫(そ)れ故につまり保続の経験を肝要と云ふ訳けである。夫れから林業は前申す通りであつて実地に就て行はなければならぬが、仕事は極華美なものではない。又植付けた木を何時(いつ)伐るかと云ふと、子孫の代になつて伐ると云ふ様な気の長い話しである。夫れ故林業に従事するものは気長く考へて行かねばならぬ。日本人は理屈に走つていけない。又日本人は、森林事業に従事して居る人は理屈に勝ちて仕方がないが、林業の実際に木の植え方且(かつ)伐採方に就ても、人は学問の六か敷(むつかしき)様な高尚な事を言ふて、理屈を云はねば役人の様に見えないと思ふ人があるけれ共、林業の目的とするは必ず実地に就いてやらねばならぬ。諸君は木曽の山中に居て、山に行つては樹木を植え運材の方法など日々実際に就て学ぶと云ふことが第一である。若(も)し理屈を先きにするとしたならば、此山中に此学校を置くの必要は更にない。東京でも大坂・京都でも宜しい。それであるから諸君は深い理屈を考へるの必要はない。只(ただ)木を植え育て実地に就て熟練するが第一とするのである。彼の独乙(ドイツ)国・仏蘭西(フランス)及び「スイツル」(スイス)等の文明国に於ける林業官の経歴を見るに、先づ学校にて2年、実地に就て2
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年半位、又学校に在りて2年位、又更に実地に於て学ぶ事2年位、即ち半分以上実地で学ばねば、相当の資格を持つことが出来ないと云ふ位、実地の研究が必要である。依(よっ)て教場の理屈を聞く時間よりも林に入りて実地に付きて研究する時間が長いのである。夫(そ)れから後に理屈を学び、試験に及第して実業家となり社会に立て直ちに応用するのである。諸君もだんだん森林の経済を行ふ事に於て、論より証拠、理屈に走らず山の中の実地に就て見るがよい。余り長話になりましたが、尚(なお)一言申して終りを結ぶことゝしませう。
前申した様な訳であるから当校の発達する事を希望する訳である。将来教員の尽力により諸君が卒業して社会に出たる上は、世の中の信用を得て本校の成績と名誉とを高めて、諸方より是非木曾山林学校へ行かねばならぬと云ふ様に至らしむるも、之亦(これまた)諸君の責任である。例を揚げて申しますると彼の独乙(ドイツ)の「タームド」と云所に一つの学校がありまして、今より100年許(ばか)り前に始めて「マター」と云ふ人が己(おのれ)一人で設立し始め、10人、20人、30人とだんだん人を集めて、種々林業上の話をして遂に一つの学校と発達せしめたのである。学校の周囲は官林であつて山中であるから極不便の土地であるけれ共、学校の位置がよいのでだんだん発達して、今日では遂に各国よりも留学生が行きて勉学して居ます様に、世の中に該校(がいこう:その学校)の名誉が揚つたのである。此木曾山林学校も諸君が益々(ますます)勉強して卒業して出れば、森林家とならねばならぬのである。それであるから諸君殊に第一期の学生諸君は、実に重大なる責任を双肩に担ふて居るからして、日夜怠らず勉強して此木曾山林学校の名声を益々天下に発表すると同時に、我国の林業開拓に力を致して国益を増し、一方には自己の幸福と名誉とを揚げられん事を希望します。