卒業生に望む

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          西 澤 静 人(注4)
 既に諸君の知らるゝが如く、我長野県木曾林学校は、正に創立満20週年、卒業生を出すこと18回、総員617名を数ふるに至れり。されば金風菊香を送りて衣袂(いべい:着物のたもと)に薫じ、梧葉(ごよう:あおぎりの葉)徒らに散りて愁を弄(ろう)す、秋清景正に酣(かん:たけなわ)なる10月16日を卜(ぼく:うらなって選び定める)して、本校創立20週年記念式を挙げ同時に記念号雑誌発刊せらるゝにつき聊(いささ)か希望を述んに。
 思ふに、今や我国の林業界は、長足の進歩発達を期しつゝある事明かなり。此の時に当り我が校卒業生600余名は、南は南洋・台湾より北は樺太(からふと:現サハリン)に至る各地に拡り、斯業(しぎょう:この事業)の為に貢献せられつゝあることは一般の認むる所なり。然れども極めて稀れには卒業後其の志を立て其の目的の職務に従事するも、一朝多少の障碍(しょうがい)に遭遇するときは、忽ち其の志を屈し、中途に其の業を廃し、多年の刻苦も泡に帰せしめ、空しく歳月を消磨するものあるは、豈に(あに:どうして、なぜ)慨嘆の至りに堪へざる所なり。苟(いやしく)も一個の男子として、一旦活社会に出でたる以上は、如何なる艱難(かんなん:苦労)辛苦に遭遇するも、其の所志に向
 
  (改頁)
 
 つて須(すべか)らく一大事業を成して、以て斯業に貢献するの覚悟なかるべからず。嗚呼(ああ)人生は再び来らず、歳月は人を待たず。凡そ成功は各自の覚悟、勉学によって成就し得らるゝものならん、古人の諺(ことわざ)に曰く「道近しと雖も、行かざれば到らず、事小なりと雖も、為さゞれば成らず」と、この諺平凡に做(なし)たるも決して然らず、世人動もすれば此の諺を等閑(とうかん:なおざり)に付して、深く意に留めざるものあり。又青年は人生の花なり。即ち大なる活気精に富み、意志旺(さかん)にして大に奮発勉励すべき秋(とき)なり。且つ前途遼遠にして、自己の努如何(いかん)に依りては絶大の功業をも成し得べく、又自己の奮闘如何に依りては事業の成功も極めて容易なるものなり。又人は年と共に向上進歩し、畢竟(ひっきょう:結局)常に現在の我れに満足すこるとなく、一層優(まさ)りたる我とならん事を求めで、知識技能を修め才智徳行を研けばなり。凡そ天下の事進まざれば即ち退く、人若し現在の我れに満足して自ら進まんとする努を欠くときは、知らず識らず萎微退縮(いびたいしゅく:なえしぼみ小さくなること)して現在の状態も保ち難かるべし。斯くの如く退縮し社会の進歩に伴はざるときは、往々進取の意気消沈して倦怠(けんたい:つかれて、だるいこと)の心自ら生じ、漸(ようや)く懶惰(ぜんだ:おこたる)の悪癖を生じて、益々進取の気象を失ふもの尠(すくな)かならず。故に絶へず新なる意気を振ひ、絶へず高き地位を望みて、知識技能を修め才智徳行を研けばこそ、日に月に進歩の跡を見るべく、年を迫うて大成の域に達する事を得べきものなり。されば常に吾人は進んで已(や)まざる覚悟なかるべからず。一度小成に安んぜんか、忽(たちま)ちに心に油断を生ぜん。一度倦怠の心を生ぜんか、忽ちに進収の気象を失ふに至るならん。然らば諸君之を憂ひ、之れを恐れなぱ、須らく奮然として進取の気象を養ひ、毅然として倦怠の心を斥(しりぞ)け、小成(しょうせい:わずかな成功)に安んせず油断を生ずる事なく、元気を新にし希望を高くし、絶へず我れの進歩発達せん事を期するべきものなり。
 さて最愛なる卒業生諸君よ、母校の20週年記念の永年祝賀を表すると共に、内に標本・図書・機械等の設備を完ふし、近く明年度に於ては生徒定員及び学級数も亦従来の倍数に達せしめんとの予定にして、益々本校の面目を一新せしめんとするの好運に向へり。之れと同時に諸君の行動如何に依って、母校の価値を広く世上に表示せられるに至らん、冀くば諸君自重自戒し、自己の本分に対し勇往邁進(ゆうおうまいしん:勇ましくまっしぐらに進んでいく)し、以って健全なる国民となり、併せて母校の真価を顕揚(けんよう:世に明らかにする)せられん事を切に希望して止まざる所なり。
 以上は、20週年紀念を祝すると、同時に本校の為めに諸君に向ふて希望を陳(の)べ、併せて老婆的忠言を試み、以て諸君の一顧を煩はさんと欲し、拙文を掲ぐるに至れり。諸君幸ひ諒せよ。(完)