科学文明と信仰

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          尾 花
うづ高く積まれた古雑誌の中から一冊を抜き取って、何心なく頁をめくると「消えざるのりへ」といふ3号活字が目にとまった。
それにはこんなことが書いてあった。
英国の有名なる一牧師ホルトン博士は次のやうな事をいった。「世界は理智の氷に冷却され人類の魂は凍えるへて居る。今や情意の火を燃やし、枯れんとする魂の芽生へをせなければならぬ時だ。もしこの地上に情意の薪を投げて信仰の火を点ずる人あらば、そは神の計画を行ふものである」と誠に深い意味のこもった言葉であると思ふ。人は現代を科学の世紀だといふ。その科学の世紀は今頂上に達して居る。理智文明はその絶頂に迄登りついて居るのだ。かの欧州戦争(:第1次世界大戦)は科学文明が産んだいたづら児であった。科学文明を母として居た戦は理智的戦争と名づくべきであらう。その理智的戦争をひきおこした科学文明について少しく考察して見やう。科学の任務は研究と発明である。時々刻々と発明発明を産んで、はては種々雑多の機械がうづ高く積み上げられ、人をして驚歎のをみはらしめるのである。そして文明生活の需要品の全部を容易に迅速に機械で製作するのである。昔の人達が数十人もかゝって孜々(しし:せっせと)として働いて一日やっと生産して居た仕事も、今日の機械の装置によればよく一人の少女が数時間にして、それに堪へ得るのである。現今の紡績工場などの仕事がそれである。そうした驚くべき生産を持った機械的文明が世界人類に貢献した事は多大であって、これを嘆賞する事は誰一人として躊躇(ちゅうちょ)するものはあるまいが、然しその落ち入り安き弊にして、その文明は人を機械的に扱ひ物質的に遇するに至る。それは、寧(むし)ろ機械に使駆されて居る人間が機械と化し、物質的となるといった方が適当かも知れぬ。これは一面免れることの出来ない現象である。そこに冷い氷があって人の尊い魂を凍えさすのであらう。だから凍えた魂をあたゝめる薪は要求されているのである。
孜々として額に神聖な労動の汗と膏(あぶら)を搾って働く人の気分と、手のさき足の先で機械をあやつて仕事する人の気分とは全く違ふのである。緑滴る田舎の自然の懐のなかに土の香りにひたりつゝせっせと働く人の感情が、率直で温和でのんびりして、理想的で精神的で家庭的であるに反して、歯車の轢(きし)りあはたゞしい工場の中ではほこりにまみれつゝ労作する人は、神経質的でこせこせして現実的で個人的で、また物質的である。前者は肉体を霊化し、しんみりした生活の中に霊の飛躍がある。後者は尊い魂が肉に包まれその天真を失ひその
 
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統一を傷けられ、けばけばしい装ひの中に霊がりを失はんとして居る。かうした機械的文明所謂(いわゆる)都会生活の闇黒(あんこく)面が切実に近代の人に味はれるやうになった。これが現代文明の悲劇である。
人を機械視する、物質を以て人格を売買する。これが科学文明の堕落である。科学文明の絶頂は科学文明の堕落の深淵である。
嘗(かつ)てホルトン博士が言った
「科学を偏重(へんちょう:一方だけを重んずること)し理智にのみ奉仕する国家は極端な国家主義となり、軍国主義となり、果ては恐るべき侵略主義の国となる。その代表者は独逸(ドイツ)であった」と科学の祟拝、理智の讃美の追及、これ等がかの独逸魂を培った肥科であった。
ビスマーク、モルトケ等の鉄血主義、フイヒラのの哲学、ニイチエの超人主義、これらは独逸魂の権化で反デモクラチックの柱であった。而してこの三つの柱を結束し統一したものがカイゼル・イルへルムニ世(注44)であらう。彼は強の権化、進撃の神、惨忍の悪魔であった。彼の「汎独主義(注45)の許に世界を統一するは朕の使命なり、この大使命の前には神の外恐るべきものなし」との天の神に対する誓ひの言葉は、すなはち人類に対する悪魔の咆(こう:ほえる、猛々しいさま)であったのだ。この宣言は直ちに世界を焔々(えんえん:もえあがるさま)たる地獄に化した。800万の生霊(せいれい:生きている人のたましい)は賭(と:注46)され、3,000万のはらからは傷けられ、4,000億の財貨と8,000艘(そう)の船舶とは烏有(うゆう)に帰せられ、その惨劇は歴史あって以来のものであった。
真に神ありや……とはヨーロッパの到る所に起り来って居る疑ひと呪ひの声である。独逸一国の生存の壇上に、幾百万の神の子が血祭りを挙げるとは、予め天地の計画を樹てたまう神の真意計り難し。計り難き所所謂(いわゆる)神であるかも知れぬ。而し目前の惨虐(ざんぎゃく:むごたらしくいじめる)に信仰は破壊され神は心から去ったのであらう。
神は真にありや………一方に古き神は去った。伝統的信仰は破壊された。然し新らしき神を熱烈に求めた新らしき信仰の建設の芽生へは起った。「十字架の主は焼かれたり、而して地上のカイゼルもまた共に焼かれぬ。茲においてか、其の灰の中より更に地上神と又霊界のカイゼルと一つになって現れん」。これはノルウェーの文豪イプセンの言葉である。この世の終局は灰になって、その灰の中から再び新らしい人生――生気満ち活気漲(みなぎ)った人生が生れくる、といふギリシヤの古い哲学者の或る一部の思想を言ったものであらう。欧州戦争に悩み労(つか)れたヨーロッパ人は、これに似たやうな神を求めるものが多かった。「終末の日は近づけり、されど新しき神は復活し玉ふ」と、この戦禍の灰燼(かいじん:灰と、もえのこり)の中から新らしい世界――平等と自由と正義と愛にて包まれたる世界の誕生を求め、且つ信じた神はさうした世界を灰燼の中に建設するのだ。その灰の中に正義と自由の国を打ち建てるのが神であると信じた。斯うした新しき神を求め新らしき信仰の芽生へ期にあたって声を励して立った巨人があった。彼れは大きな背景を持って居た。誰れ憚(はばか)る者もなく慶揚(おうよう:ゆったりと強いこと)と自由の翼をはばたき乍(なが)ら太平洋を渡って講和会議の場所たるべルサイユ宮殿に現はれ
 
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た。さうしてその片言隻句(へんげんせきく:わずかなことば)は人を魅了するであった。その巨人は即(すなわち)ウイルソン大統領(注47)である。かの「汎独主義の許に世界を統一するは朕の使命なり」といったカイゼルのそれが悪魔の咆哮(ほうこう:ほえさけぶこと)であるならば、ウイルソン大統領の1917年4月2日参戦の宣言に発表した「デモクラシーの為に世界を助けしめよ」とのそれは、疲れたる人類の魂への救主(すくいぬし)の招喚(しょうかん:よび招く)の声であつた。彼れが地上を地獄へと導いた宣言であったなら、これは大地の上にエデンの花園を建設せんとするみことのりであらう。