小宿の機能

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 一方、小宿の機能についてみると、小宿の機能は、基本的には問屋の流通独占体制を補助・強化するところにあり、問屋機能の1つである船宿的機能はなかった。もっとも小宿にも沖ノ口口銭の徴収権が一部与えられているが、これはあくまでも問屋船改が終了したのち行使されるもので、問屋のもつ本来的な船宿的な機能は、やはりなかったとみられる。従って小宿機能の中心は、沖ノ口口銭徴収を実現補強するための売買機能であったが、その場合にも取扱量は、問屋の7分に対し3分と制限されていた。松前三港の小宿は、本州諸港の制度を模倣して新設されたものではあったが、他の小宿が原則として水主(かこ)の世話を本業とし、荷物の売買が制限、禁止されていたのとは極めて異なり、松前三港の小宿は、問屋の指示において、純商業的機能である売買機能を補助し、問屋の流通経済の独占体制を内部から強化するという、全く蝦夷地特有の機能を所有していたのである。
 以上のようにこの期における問屋小宿の株仲間化は、物価の調整を目的として行われた享保期の幕政改革時の株仲間結成の意味とは大いに異なり、基本的には松前藩の徴税体系の一環として行われたところに、大きな特徴があった。従ってこのことは、松前藩のあり方から見れば、藩体制そのものを、生産・流通両面の構造的変化に対応して、役金徴収体制として再編、強化するための重要なポイントになったし、また、箱館港の歴史的性格から見た場合は、こうした性格の問屋制度の確立によって、箱館が場所生産物の中継地としての性格を負わされたことになり、特に断宿の機能が松前と箱館の2港の問屋のみに与えられたことは、箱館を商港経済都市的な方向に進ませる上で決定的な意味を持ち、それだけに箱館を中心とする流通史の上では、画期的な出来事であったといえる。