昆布に次ぐ海産物は鰊であった。しかしその産額は極めて少なかった。従来、鰊の産地は松前西部を主とし、従ってその収税のごときも、1戸に付干鰊14丸(1丸は200本)を徴収したが、東部は薄漁のため半役といって7丸に定められた。この税もその後、享保4(1719)年に改められ、家々の漁獲高の15分の1となり、宝暦3(1753)年、更に改めて船の大小によって課税することになった。同4年またその金額を増し、すなわち、図合船(船幅6尺6寸より7尺5寸まで)金1両、三半船(船幅5尺より6尺5寸まで)金3分、持符船(船幅3尺より4尺9寸まで)金2分、ホッツ船(船幅3尺より4尺9寸まで)金1分とされた。また東部でも茅部辺は比較的鰊の群来(くき)もあって、ここに出塚する者もあり、『松前地方並東蝦夷地明細記』によると、「箱館村、産物十二月より正月まで冬鰊」とあって、この冬鰊は有川村、戸切地村および箱館村などで漁し、今日では、ほとんど来游(ゆう)を見ないが、むかしは相応の漁獲があって特産物にされた。
鰊の漁具は大網の使用を禁じ刺網のみとした。茅部方面は建網を許したこともあるが寛政2(1790)年に停止し、ただ冬鰊に限り引網の使用を黙許した。