江戸期の生業(なりわい)

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 コシャマインなどのアイヌ騒乱によって、和人の生活には空白の一時期を生じたが、江戸期に入ると亀田地帯が栄え、農業が生まれた。奥州和賀郡から渡って代官をつとめた白鳥氏は、出稼者に極力農耕を勧めるところがあった。また、元禄4(1691)年に出された、松前藩の覚書にも、ようやく農作に関した定めが見られる。
 箱館は漁民が住む程度であったが、江戸中期になると本州方面から商船も多く入港し、問屋も出現した。尻沢辺から大森、湯川、下海岸方面にかけては漁業で、ことに志海苔、石崎方面は昆布で活況をみせ、箱館はその集散地として栄えた。