本郷 前記庚申塚の地で白川栄右衛門なる者が頭取で、白川郷ともいい、鍬頭は越後から来た内田藤兵衛という。 |
千葉郷 いまの大野町市渡の内で、千葉久治なる者が頭取で開墾し、寺院なども建立した。 |
千代田郷 いまの大野町の内で、河村新左衛門が頭取で開き、その資本は出羽国酒田(山形県)の富豪本間正五郎が支出した。 |
一本木郷 前記千代田郷に接続し、島津才兵衛なる者が頭取で開拓した。のちに一本木と千代田が連合して小学校を設け島河小学校と称したが、これは島津、河村の両頭取の姓をとったものであるという。 |
中ノ郷 いまの上磯町内で、盛岡の百姓源兵衛(あるいは源五郎ともいわれる)が頭取で開墾した。 |
藤山郷 いまの七飯町地内で、藤山善右衛門が開墾したという。 |
伊達郷 旧七飯村と藤山郷の間にあり、伊達林右衛門が資本を投じて開拓したものである。 |
この外、文月、大野、上山などの地内でも開墾されたが、郷名が付けられない所も数か所あったといわれている。 |
農耕の図 「蝦夷島奇観」より
右のように一時は非常な意気込みで開墾され、ことに従来絶望といわれていた水田に力を入れたが、ただ惜しいことには経費が多額に上るので、文化5年以後新墾を中止したばかりか、水田はその後凶作などに遭ったため、あるいは廃止し、あるいは稗などを作り、開墾の業はしだいに振わなくなった。しかし今日函館市の近郊農村として栄える礎石は、この時代に置かれたとみられる。