択捉航路開発

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近藤重蔵

 彼が厚岸に滞在中、択捉島開発の任を帯びてこの地に至った近藤重蔵に呼ばれ、そして択捉航路開発の相談を受けた。嘉兵衛は欣然これを引受け、購買の荷物を水戸に輸送させ、自らは重蔵に従って国後島の東端アトイヤに向かった。
 由来、国後島と択捉島の間の潮流は速く、アイヌ船で渡海するのは全く命掛けであり、従って大船の通航などは、はなはだしい困難が予想されていた。嘉兵衛は毎日高い丘の上から潮の方向を見定め、丸木舟を流してその緩急をはかるなど様々な研究を続けたが、そこには3つの潮流があって、各別な方向に流れていることを知り、その衝点を避ければ無事船を渡す自信を得たので、宜温丸という75石積の船に堅牢な波よけをつけ、ついに択捉島へ乗切り、紗那を中心に、会所を建てるべき所や漁場などを見立てて国後に帰り、根室において近藤重蔵に復命、更に箱館江戸においてその顛末を報告した。前記のごとく特命をもって択捉場所の開設を命じられたのもこの時であった。