冥加金引下げ願

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 このような実情から箱館問屋の取扱荷物は著しく減少した。そのため同年11月、箱館株仲間問屋は連名をもって、次の願書を幕府に提出している。
 
      乍恐以書付願上
私共問屋家業往古より仕り来り候に付、十三ヶ年以前酉年(享和元年)、問屋御印紙新規下し置かれ有難き仕合せに存じ奉り候。右御冥加の為壱ヵ年金百両宛仲間より上納仕り来り候得共、去る寅年(文化三年)私共残らず類焼仕り候故、追々内懸り不操合せに罷成り候処、尚又去年迄は東御場所御産物当所において御直払の義故、格別口銭も受用仕り、勿論諸廻船下り込み過分これ有り候得ば、右口銭旁家業相続にも相成り候義故、御冥加金仲間より百両宛上納仕り候得共、今年より御場所請負仰出され、奥地大御場所の義は、有増(あらまし)松前表へ受負いに相成り候義故、諸廻船下り込も相減じ産物口銭は皆無同様の仕合故、家業相続け行兼ね迷惑至極に存じ奉り候。之に依り私共成立ち候迄、今年より御冥加金三拾両宛上納仕り度く候。一体最初右御冥加金百両は御産物願上の金高を以て割合仕り候処、願受の御産物払方格別の損金出来迷惑仕り候もの追々これ有り候に付、余儀なく仲間面割上納仕り候。右の仕合に御座候間、恐れながら私共成立ち候迄、一か月金三拾両づつ上納仕り候様、何卒格別の御慈悲を以て仰付けられ下し置かれ候様仕り度く、恐れながら此段書付を以て重々願上げ奉り候。以上

   酉閏十一月
               長崎屋半兵衛
               秋田屋甚作
               和賀屋宇右衛門
               亀屋武兵衛
               角屋吉右衛門
               浜田屋兵右衛門
     御役所       (『文化御用留』)
 
 この願書によれば、従来株仲間問屋は冥加金として、毎年百両ずつ上納していたが、文化10年直捌きが廃止されて請負制度が復活した結果、諸回船の出入が減少し、問屋口銭の収入が皆無に等しくなったので、家業存続さえ行届きかねるようになった。そこで今年から冥加金を30両にしてもらいたい、というものである。問屋側の主張するように問屋口銭の収入が皆無になったというのは疑わしいが、少なくとも直捌の廃止で箱館問屋が、かなり大きな打撃を受けたことだけはたしかである。