リコルド
一方、ゴロウニンの救出を誓って去ったディアナ号副艦長リコルドは、文化9年8月3日、これより先、文化4年フォストフに捕えらわた五郎次および文化7年漂流した、摂津の商船歓喜丸の乗組員与茂吉ほか5名を連れて再び国後の泊に来たが、国後在勤調役並太田彦助らがこれを見て厳重な陣固めしてこれを迎えたので、リコルドはこれを遠望して近づきかね、翌日歓喜丸船頭1名を上陸させて会見を求め、拒絶されると五郎次を派遣して再び交渉させた。五郎次は自ら中川良左衛門と名乗り、千島の有力者を装い、5年間ロシア滞留中にロシア語も解するようになっていた。ところが彦助は五郎次に、ゴロウニンら捕虜はみな殺しにされた旨を答えさせた。しかし、リコルドはこれを信ぜず、ほかに信頼に足る日本人を捕え、その真相を確かめるため日本船の往来をうかがっていた。