また学術技芸に関しては、オランダ語をはじめ英語、ロシア語等いずれも必要にせまられたので、箱館で始めて洋船を建造した父続豊治を手伝って英語の知識をもっていた福士卯之吉(のち成豊)などは、自ら英米人の店舗にあって英語を習い、山東一郎はロシア領事館員についてロシア語を学び、あるいは栗本匏庵はフランス人宣教師メルメ・デ・カションについて仏語と邦語の交換教授をするなどあり、また奉行所も教師を置いて英語及びロシア語の通辞を養成した。箱館病院もロシア医師の刺激によって創立され、箱館形と称する洋型船舶も、続豊治の苦心によって外国帆船を見学して造られたものであり、カヘルといわれたストーブの最初もイギリス人から学び、鋳物職人孫右衛門なる者によって造られるなど、種々の影響をもたらした。その他産業では牛の牧養から馬鈴薯の耕作、貿易のための昆布の増産など、市民の生活の上にも大きな変化を与えている。