沖ノ口主法の改革

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 幕府は更に安政3年9月、沖ノ口主法に大改革を加え、問屋小宿を戒めて誠実にその業を営むよう申渡し、かつそのうえ新たに問屋取締役を設け、町年寄蛯子次郎(のち砥平)をこれに任命し、各場所荷物送状はもちろん、積合わせ改方、売捌き荷物入札などにも立会わせるなど、沖ノ口の取締りを左の申渡書によって強化した。
 
               問屋頭取問屋小宿
其方共儀、家業筋儀旧来の為来(しきたり)に昵(なじみ)、不取締りの儀もこれ有る哉に聞え候処、此度は御出格の御仁恵に別段沙汰に及ばず候得共、其向後等閑の儀これなき様新規取締役を申付候間、向後夫改正の義もこれ有るべく、畢竟正路に相務め、従来の家業、永続いたさば、其身の為に候間、取締致す分共腹臓無く申談し、差図を請け、邪に一己の利益をはからざる様心掛べく、就い而は銘々に於いても彼是世話にも相成るべく候、年々受用口銭惣高の百分一取締役え差出し申すべく、右渡方は年々七月沖之口御番所において相渡し候様致すべく候。
  辰十月七日       (『箱館問屋儀定帳』)

 
 しかし、急に取締りを厳重にしては、船手の者が困るとみたのか、安政4年3月には、東蝦夷地産物の場所値段は、問屋入札値段が届出られれば、それより1割安の口銭にするなどの政策も行われている。