第3期の箱館奉行の任務は、基本的には第2期のそれと変わらなかったが、幕府が諸外国との修好通商条約により、安政6年6月2日、箱館を通商貿易港として開港したため、これにかかわる奉行の仕事は一段と増大した。しかも、第4節にみる如く、アメリカが貿易事務官・貿易事務官代理等を、ロシアが領事を、イギリスが領事・領事代理等を、フランスが代理領事・領事代理等を、オランダが領事・副領事等を、ポルトガルが領事を、プロイセン(北ゲルマニア)が代理領事等を、スイスが領事・領事代理等を、デンマークが領事並を相次いで箱館に置いたため、従来とは質的に異なる外交交渉にかかわる仕事が一段と増加した。しかし、その反面、同年9月27日、幕府は、会津・仙台・秋田・庄内・津軽・南部の奥羽6藩に蝦夷地を分与し、警備と開拓にあたらせたことにより(『幕外』27-138、『維新史料綱要』)、奉行の「御預所」は、松前藩領以外の箱館を中心とする和人地と、蝦夷地では、東蝦夷地のうち、山越内、フレナイ、有珠、室蘭、勇払、沙流、新冠、静内、三石、浦河、幌泉、釧路、エトロフ島のシヤナ、根室付島々の14か所、西蝦夷地のうち久遠、奥尻、太櫓、瀬田内、歌棄、磯谷、岩内、古宇、積丹、美国、古平、余市、忍路、高島、小樽内、石狩、厚田サンナイ、網走の18か所と北蝦夷地、計33か所のみに縮小したため(『新撰北海道史』通説1)、その分だけ蝦夷地にかかわる直接的な業務は減少するとともに、それに伴い蝦夷地にかかわる場所請負人の運上金も2万4000余両から9549両余(東西北蝦夷地共33場所1ヵ年運常金)へと減少することとなった(「蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類」『新撰北海道史』史料1)。