維新前後の外国船の状況

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 開港以来、わが国は外国貿易の急激な伸長に伴い、国内の物資流通の輸送も急増する傾向をみせた。海運による大量輸送がとりわけ重要な役割を果たしたが、明治初年までは在来の和船に頼っていた。開港後、幕府は民間の大船の所有、製造を認め、外国商船の購入も許すことにした。しかし、こうした施策は早急に効果をあげることはなかった。これに対し、幕府や諸藩は盛んにオランダ、イギリス、アメリカなどから船舶を購入した。勝海舟編『海軍歴史』では慶応3(1867)年の幕府、諸藩の保有した西洋船は汽船86、帆船53の計139艘にものぼると伝えている。ところが、これらの多くは海防を目的として購入されたものであったため、一般の旅客貨物の輸送に供されなかった。かろうじて慶応2、3年に薩摩藩や幕府が購入船舶を用いて一部の国内航路を開いたものの、国内海運は従来通りの和船を主流としていた。この間輸送需要も増大し、国内の船舶のみでは応じきれなくなってきた。
 このため「日本政府は明治二年のドイツ北部連邦との修好通商条約において外国船に対しわが開港場間の沿岸航行及び物資輸送を認めたが、実際にはこれ以前から外国船はわが開港場を航行し、物資の輸送を行っていた」(山口和雄「明治初期の外国海運と三菱会社」『世界経済分析』)とあるように、開港後にわが国に進出し、国内の開港場と外国間との輸送を担当していた外国商船が国内の沿岸輸送-特に太平洋岸-にも就航するようになってきた。外国船の国内における沿岸航路は開港場間に限定されていたが、維新の動乱期には諸藩や商人により雇船の形で不開港場へも物資や乗客の輸送が行われたのであり、函館港においても事情は同じであった。
 さて安政6(1859)年の修好通商条約以降、開港期の函館における外国船の入港実態はどうであったろうか。安政6年から慶応3年までに函館へ入港した外国船の一覧は序章第4節に掲げたが、通商のための開港ということもあり商船の出入りが多いことは当然のことであるが、各国商船のほかにロシア、イギリスの軍艦とアメリカの捕鯨船が多いことが特徴的である。アメリカの捕鯨船は北太平洋において操業していた関係から、その食料や燃料(これは鯨油を作るためのもの)等の供給地として函館に寄港することが多かった。
 商船に関しては清国向けの海産物を輸送するための入港が中心であった。その多くが上海から来航し、輸出品を積み込んで再び上海へ向け出港した。国別の輸出貿易額は『函館市史』通説編第1巻に詳しいが、開港期はイギリス船によるものが過半を占める年次が多い。当初外国航路にのみ就航し、輸出入品を輸送していたこれらの外国商船は徐々に国内の沿岸航路へも進出するようになってくる。函館のイギリス領事は1863(文久3)年から1867(慶応3)年にかけて外国船の出入りに関して国別、船名などの個別の詳細な報告を本国に送っているが、それによれば函館に出入りする外国商船は元治元(1864)年以降、横浜と函館との間を頻繁に就航するようになった。
 1867(慶応3)年の外国船の動きを表7-1に掲げた。この年の外国船は全体で74艘であるが、内訳は商船が52艘で、他に軍艦11艘、捕鯨船11艘となっている。商船の動きをみると国内からの入港船は28艘(横浜18、長崎10)、一方国内への出港船は14艘(うち横浜8)であり、そのなかには国内の不開港場行きを3艘含んでいるが、全体として国内の沿岸航路の占める割合が大きくなってきていることがわかる。横浜往復が5艘あり、横浜から入港して上海へ出港が8艘、あるいは長崎から入港して上海に出港するもの6艘、それに上海往復が7艘である。外国商船の多くは横浜を根拠地としているため横浜-函館-上海-横浜という航海が一般的であった。函館において外国船に対する需要は、それが開港場間に限定されていたとはいえ沿岸航路の和船の輸送力不足や、北海道の地理的条件から「北海の義は秋冬春の間は未だ本邦人航海に不狎候故危難も多且つ外国船に無之ては航海難致事も有之…」(明治3年『開拓使公文抄録』)というように外国船の航行性能の優位性が認識され、活発な利用がみられるようになった。また外国船の活躍は物流面において函館と関東市場との関連を密にするといった側面を強化していった。
 
 表7-1 1867(慶応3)年外国船の函館入出表
船名
種別
国籍
噸数
入港日
出港日
出港地
出港先
ネリー・アボット
アキンド
ベルタ
カンカイ
ソリデ
タ・リー
ワイルド・デーレル
ベルタ
マウンテン・アッシュ
ノルマン
ノーフォーク
アクティヴ
フロリダ
サンビーム
リジィー・アレン
ネービー
ユリアン
オラゴン
クルーザー
キケロ
アニー
キュー・キー
チャイナ
アデリーン
チェロキー
バンプリー
アキンド
ベルタ
カンカイ
ゼフィー
モルゲ
シェナンドー
アレート
サーペント
ペルセウス
ザンパン
サラミス
サーペント
バジリスク
アリシア
ラ・プラス
ガルノスタイ
オーロラ
ビネタ
カンカイ
ローレライ
オべロン
アリシア
シェルバーン
コペンハーゲン
エタ・リクマルス
ペルセウス
ザンパン
フランシス
ハヤ・マル
カンカイ
リジィー・アレン
ビル・ドゥ・St.Lo.
アキンド
スタンリー
ボルガ
アムール
リジィー・アレン
プリンス・オブ・サツマ
ロバ-
ナボブ
スタソリー
カンカイ
デスパッチ
オーロラ
ヒューカン
サラ
アキンド
アイビー
Nellie Abbott
Akindo
Bertha
Khankai
Solide
Ta Lee
Wild Dayrell
Bertha
Mountain Ash
Norman
Norfolk
Active
Florida
Sanbeam
Lizze Allen
Navy
Julian
Oragon
Cruiser
Cicero
Annie
Kew kee
China
Adeline
Cherookee
Vampyre
Akindo
Bertha
Khankai
Zephyr
Morge
Shenandoah
Alert
Serpent
Perseus
Saman
Salamis
Serpent
Basilisk
Alicia
La Place
Garnostai
Aurora
Vineta
Khankai
Lorelei
Oberon
Alicia
Shelbourne
Kjobenhaven
Etha Rickmars
Perseus
Sampan
Francis
Haya Maru
Khankai
Lizzie Allen
Ville de St Lo
Akindo
Stanley
Wolga
Amur
Lizzie Allen
Prince of Satzuma
Rover
Nabob
Stanley
Khankai
Despatch
Aurora
Huquang
Sarah
Akindo
lvy
バーク
バーク
ブリッグ
スクーナー
ブリッグ
バーク
スクーナー
ブリッグ
バーク
バーク *
スクーナー
バーク *
シップ *
バーク *
スクーナー *
バーク *
シップ *
シップ *
バーク *
バーク *
バーク
バーク
バーク
シップ *
バーク *
スクーナー
バーク
ブリッグ
スクーナー
バーク
汽船
汽船
スクーナー
汽船
汽船
バーク
汽船
汽船
汽船
バーク
汽船
汽船
ブリッグ
汽船
スクーナー
バーク
バーク
バーク
バーク
バーク
シップ
汽船
バーク
バーク
汽船
スクーナー
スクーナー
バーク
バーク
スターナー
汽船
バーク
スクーナー
ブリッグ
汽船
バーク
スクーナー
スクーナー
バーク
ブリッグ
汽船
ブリッグ
バーク
バーク
アメリカ
イギリス
プロシア
イギリス
オランダ
イギリス
イギリス
プロシア
イギリス
アメリカ
イギリス
アメリカ
アメリカ
アメリカ
イギリス
アメリカ
プロシア
プロシア
アメリカ
アメリカ
ロシア
イギリス
オランダ
アメリカ
アメリカ
プロシア
イギリス
プロシア
イギリス
アメリカ
ロシア
アメリカ
イギリス
イギリス
イギリス
プロシア
イギリス
イギリス
イギリス
イギリス
フランス
ロシア
イギリス
プロシア
イギリス
プロシア
プロシア
イギリス
イギリス
デンマーク
プロシア
イギリス
プロシア
フランス
イギリス
イギリス
イギリス
フランス
イギリス
イギリス
ロシア
ロシア
イギリス
フランス
アメリカ
アメリカ
イギリス
イギリス
アメリカ
イギリス
イギリス
イギリス
イギリス
イギリス
438
370
224
137
227
342
158
224
434
316
264
291
347
359
325
385
356
350
259
226
247
344
382
354
297
240
370
224
137
337
150H.P.
500H.P.
185
200H.P.
200H.P.
297
250H.P.
200H.P.
400H.P.
23
400H.P.
80UH.P.
227
400H.P.
137
303
299
236
372
400
1,000
200H.P.
297
322
334
137
325
376
370
113
114
247
325
235
500
530
113
137
190
227
373
186
370
318

1.20
1.26
1.27
3.9
3.12
3.23
3.23
3.27
3.29
4.9
4.13
4.13
4.16
4.19
4.19
4.19
4.19
4.20
4.24

4.28
4.29
5.2
5.4
5.11
5.16
5.18
5.26
6.9
6.9
6.28
7.2
7.7
7.10
7.10
7.26
7.27
7.27
7.29
7.29
7.29
8.4
8.8
8.11
8.12
8.18
9.1
9.2
9.2
9.2
9.8
9.9
9.12
9.14
9.15
9.16
9.18
9.19
9.20
9.27
10.3
10.7
10.10
10.20
10.24
11.1
11.3
11.5
11.10
11.21
11.29
12.1
12.2
1.16
2.17
2.17
2.26
3.19
3.21
3.27
4.12
4.19
4.6
4.29
4.24
4.24
4.22
4.30
4.29
4.27
4.27
4.27
4.28
6.14
5.29
5.26
5.9
5.22
5.27
6.20
6.17
6.2
7.9
6.12
7.10
7.27
7.11
7.18
7.29
7.31
8.1
8.1
8.6
8.6
8.4
8.28
9.3
8.19
9.15
9.20
9.25
9.15
10.16
9.15
9.29
10.11
10.24
9.23
10.3
10.1
10.15
10.12
10.9

11.6
10.9
10.24
10.23
10.30
12.24

11.27
12.2

12.18

12.31

長崎
横浜
横浜
上海
香港
横浜
横浜
横浜
巡航
横浜
巡航
サンフランシスコ
グアム
横浜
グアム
グアム
ホノルル
ホノルル
ホノルル
ホノルル
横浜
香港
ホノルル
ホノルル
横浜
長崎
横浜
上海
香港
長崎
横浜
横浜
長崎
横浜
香港
横浜
横浜
横浜
長崎
横浜
横浜
上海
横浜
樺太
長崎
アムール
北方
長崎
アムール
アムール
横浜
ニコラエフスク
横浜
横浜
樺太
上海
長崎
長崎
横浜
横浜
アムール
再入港
上海
オホーツク海
上海
横浜
横浜
長崎
上海
長崎
横浜
長崎
上海
上海
長崎
横浜
上海
上海
天津
芝罘
横浜
上海
日本海
上海
北極海
北極海
北極海
上海
北極海
北極海
北極海
北極海
北極海
アムール
芝罘
横浜
北極海
日本海
上海
上海
横浜
北方
芝罘
ニコラエフスク
長崎
上海
横浜
横浜
ニコラエフスク
西海岸
西海岸
西海岸
樺太
西海岸
ニコラエフスク
上海
横浜
樺太
上海
上海
東海岸
上海
上海
上海
横浜
横浜
上海
横浜
東海岸
上海
上海
上海
横浜

長崎
上海
上海
横浜
上海
香港

上海
上海

上海

上海

 1867年『イギリス領事報告』(国立国会図書館蔵)より
 *は他史料(アメリカ領事報告等)や出港地、出港先などから描鯨船と思われる.
 噸数の欄のH.P.は馬力でいずれも軍艦、…は前年中に入港
 
 開港以降、船数、噸数ともイギリス船が最多の年が続いたが、明治期に入ると事情が少々変わってきて、主要国はイギリスとアメリカの2か国となる。この事情については後述する。表7-2は外国商船による沿岸貿易高と外国貿易高を対比した統計であるが、明治元年を除き明治5年までは沿岸貿易高は外国輸出入高より上回っている。明治初年の和船による沿岸貿易高を示す統計資料が失われているため、直接外国商船の占める比率は分からないが、相当程度の比重を占めていると考えられる。明治6年以降外国商船による沿岸貿易高が減少傾向をみせるのは政府の保護を受けた邦人経営の海運会社が函館にも航路を開いたことが影響している。
 ところで外国商船の輸送能力はどの程度のものであったろうか。函館の場合には日本船と比較する材料はないが、明治3・4年における新潟港の調査でその概要を見ることができる。表7-3は同港のイギリス領事の報告によったものであるが、それによれば外国船は出入り計49艘・3万トン(1艘平均600トン程度)で積載価額が63万ドル、これに対して日本和船出入り計が6700艘・16万8000トン(1艘平均25トン程度)で積載価額が260万ドルとなっている。この数値でみると少数の外国商船が大量の貨物を輸送していることがわかる。しかも和船に比べたらその積載能力が非常に大きいことがうかがえる。函館の場合も同じ傾向にあったものと考えられる。
 
 表7-2 外国商船による輸送高 単位:ドル
年次
対外国
対国内
明治元
2
3
4
5
6
7
8
9
10
366,761
306,642
144,872
307,183
438,705
565,884
298,804
378,375
804,342
441,655
288,427
1,473,393
1,113,184
370,988
493,231
72,933
77,986
84,652
23,084
14,590

 各年『イギリス領事報告』より
 
 表7-3 1869-1870年新潟港内外船別沿岸貿易表
年次



外国船
日本汽船及び
同西洋形帆船
和船
日本船合計
船数
トン数
積載価額
船数
トン数
積載価額
船数
トン数
積載価額
積載価額
1869
明治2

18
18
6,040
6,040
542,471
177,501



2,869
2,869
82,807
82,807
1,576,792
1,792,297
1,576,792
1,792,297
1870
明治3

25
24
15,506
15,325
405,075
227,448
8
8
5,391
5,391
9,396
29,895
3,583
3,145
85,331
82,758
1,556,683
1,077,323
1,566,079
1,107,218

 山口和雄「明治初期の外国海運と三菱会社」による.
 原史料は『イギリス領事報告』に依拠している.
 
 また1869(明治2)年の『イギリス領事報告』(国立国会図書館蔵、以下も同じ)にはイギリス船27、8隻が函館に入港、日本人のチャーター便として沿岸貿易品の輸送に従事したとあって、そのうち数隻は政府(開拓使のこと)、他は商人が雇ったものであると報告している。ちなみに開拓使のチャーター便は2艘であった。同年9月の開拓使の一行の函館赴任と北海道や樺太方面への移住民を運ぶためのものであった。イギリスのテールス号が用船料1万2500ドルで東京から函館・根室宗谷への就航で、もう1艘はアメリカのヤンシー号で、40日間の契約期間で2万ドル東京から函館・樺太の航行に関する契約であった(「開公」5702)。このことは開拓使が高額の用船料であっても大量輸送の場合には外国船をチャーターしなければならなかったという当時の実態を示すものであった。