表7-24 函館の汽船船主と主要航路別営業実態(明治35年)
船主氏名 | 船名 | 回数 | 旅客 | 貨物 | 船主氏名 | 船名 | 回数 | 旅客 | 貨物 |
【日高】 永野弥平 吉田庄作 酒谷長一郎 西出孫左衛門 能登善吉 板村助右衛門 服部半左衛門 【釧路・厚岸】 西出孫左衛門 能登善吉 函館汽船(株) 服部半左衛門 平出喜三郎 北海産業合資 【室蘭】 永野弥平 西出孫左衛門 石垣隈太郎 渡辺熊四郎 渡辺政次郎 藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 平出喜三郎 【小樽】 吉田庄作 酒沢岸太郎 石垣隈太郎 沢口庄助 田村与七 藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出喜三郎 北海産業合資 【薩吟嗹島】 永野弥平 酒沢岸太郎 西出孫左衛門 石垣隈太郎 沢口庄助 渡辺政次郎 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出喜三郎 北海産業合資 | 瀬田川丸 第2松前丸 豊漁丸 北海丸 帝浄丸 渡島丸 北光丸 平穏丸 回陽丸 北海丸 福垂丸 函館丸 万歳丸 北門丸 東光丸 平穏丸 浦嶋丸 錦旗丸 筑紫丸 瀬田川丸 福重丸 石山丸 矯龍九 日の丸 平安丸 玄洋丸 帝浄丸 福島丸 函館丸 北雄丸 錦旗丸 第2松前丸 貫効丸 千年丸 矯龍丸 幸明丸 恵美須丸 玄洋丸 函館丸 福島丸 北門丸 都丸 渡島丸 北光丸 回陽丸 浦嶋丸 錦旗丸 筑紫丸 瀬田川丸 千年丸 福重丸 矯龍丸 幸明丸 勢至丸 平安丸 函館丸 北門丸 北雄丸 渡島丸 平穏丸 錦旗丸 筑紫丸 | 1 56 32 8 77 7 1 1 5 3 4 10 90 3 5 1 1 2 3 1 13 1 10 7 5 2 2 2 3 1 22 15 1 8 6 17 3 5 2 1 2 2 19 10 40 13 45 2 8 5 10 11 10 2 11 7 16 2 1 1 6 4 | 人 5 218 145 70 916 6 6 9 34 59 79 297 3,254 36 35 35 85 11 6 27 55 16 1 5 102 35 307 3 341 6 1,098 67 43 5 400 11 352 20 661 464 19 219 30 490 344 370 48 331 342 1,345 308 4 355 22 | 噸 40 l,221 1,439 109 3,555 423 80 40 149 88 341 1,586 10,617 2,750 440 150 100 694 1,430 330 1,764 1,210 838 1,890 330 87 137 380 7,850 230 20 580 469 1,347 190 700 120 57 260 931 589 1,395 565 1,255 2,050 717 748 2,070 1,816 1,490 240 2,082 842 3,166 306 14 37 1,450 1,730 | 【青森】 永野弥平 吉田庄作 工藤嘉七 酒沢岸太郎 酒谷長一郎 西出孫左衛門 石垣隈太郎 藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出喜三郎 沢口庄助 【東京】 永野弥平 渡辺政次郎 北海産業合資 【大阪】 石垣隈太郎 沢口庄助 藤野四郎兵衛 函館汽船(株) 服部半左衛門 【酒田】 吉田庄作 西出孫左衛門 函館汽船(株) 服部半左衛門 平出喜三郎 【秋田】 永野弥平 酒沢岸太郎 石垣隈太郎 沢口庄助 田村与七 能登善吉 板村助右衛門 服部半左衛門 【新潟】 永野弥平 西出孫左衛門 石垣隈太郎 沢口庄助 田村与七 渡辺政治郎 能登善吉 服部半左衛門 北海産業合資 | 瀬田川丸 第2松前丸 茅部丸 千年丸 豊漁丸 福重丸 矯龍丸 玄洋丸 函館丸 福島丸 都丸 北門丸 北雄丸 渡島丸 東光丸 回陽丸 魁益丸 浦嶋丸 綿旗丸 勢至丸 瀬田川丸 平安丸 筑紫丸 矯龍丸 幸明丸 勢至丸 玄洋丸 北門丸 北雄丸 北光丸 第2松前丸 北海丸 北門丸 回陽丸 錦旗丸 瀬田川丸 千年丸 矯龍丸 幸明丸 勢至丸 恵比須丸 函館丸 帝浄丸 渡島丸 平穏丸 東光丸 北光丸 瀬田川丸 福重丸 矯龍丸 勢至丸 恵比須丸 平安丸 函館丸 北光丸 東光丸 筑紫丸 | 1 2 5 1 32 4 4 2 3 19 4 2 2 17 3 6 16 1 2 22 3 2 1 3 1 1 2 5 2 1 5 1 1 64 6 5 4 6 2 1 2 2 4 4 6 3 13 3 1 4 8 11 6 4 44 17 1 | 人 10 36 37 895 67 13 26 2 225 111 82 27 22 62 66 282 20 41 847 22 1 4 8 6 12 415 6 100 1 373 17 146 204 1 22 10 70 24 16 48 198 4 360 120 123 312 60 325 133 | 噸 50 45 80 200 1,333 347 357 110 498 637 33 200 728 96 78 417 15 165 1,164 190 300 450 295 223 50 440 855 279 85 117 12 158 1,737 1,026 161 159 472 100 70 190 160 140 287 350 245 581 83 125 345 922 715 583 372 3,337 1,575 |
『第2回航通運輪ニ関スル報告』により作成
30年代になると樺太、沿海州方面の漁期には函館の船は内航船から外国貿易船に資格を変更して露領の漁場に行くものが多くなる。漁夫や経営品を運搬し、漁獲物を運搬する。こういった用途に広く函館の船が使われている(33年6月15日「樽新」)。また不定期航路の就航以外に貸船する場合もあった。貸船の一例をあげてみよう。30年における函館と択捉島間の雇入運賃として同年5月の福重丸(260トン)1日80円、6月の北門丸(430トン)1航海3300円、7月の千島丸(170トン)1日80円、8月の恵比須丸(168トン)1日100円となっている(30年12月19日「樽新」)。運賃契約については1船全体の輸送契約はほとんどなく、あくまで貨物の重量あるいは個数による運賃輸送が一般的であった。こうした動きは明治前期には自己荷物の輸送という比重が高かったのに対して他人荷物の輸送のケースが増加したと考えられる。
おわりに函館港の20年代の海事習慣を取り上げてみよう。これは内閣法典調査会の照会に対して函館商工会が回答したものであり、西洋形帆船の取り扱いも含んだものである。その主なものを述べておく。
まず、船主と乗組員の関係については、船主と船長との関係は主従関係のもの、あるいは独立関係と両例があるものの判然とはしていない。また一般の乗組員は船長が半年ごとに雇用する場合が多く、従って船主はその点に関しては詳細を知らないという場合もある。また船長で富力のあるものは存在するかとの問いには極く少数の事例に限定されるとしている。船主と乗組員との債務関係は航海中に船長の不注意により荷物をぬらしたり紛失した場合は船主は荷主に対して責任を負うが、船長の技術上の過失により難破した時は船主は荷主に対しての責任は負わない。この場合は船主が船損、荷主が荷損となり、またたとえ船長に職務上の過失があっても船長はその責任を負うことはない。貨物輸送と船客輸送の比重とその利益率については、概して船客輸送のほうが利益が多い。しかしそれは船体の構造と不可分の関係にある。つまり効率的な構造になっている船舶では貨物のほうが金高は大きい。また船舶の売買は比較的多い。これは貨物輸送の需給関係により運賃低落や船主間の過当競争などにより倒産といった事態を来し、その結果船舶を手放すことがあったようである。(『函館商工会沿革誌』)。