段丘

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 亀田の地形は山地と平地に分けることができるが、山地など基盤となる地質は前述の火山性岩石で構成されている。平地は緩やかな丘陵や平坦な地形で、高い丘や低い丘があり、台地などと呼んでいるが、これらは段丘になっている。高い段丘は標高数一〇〇メートルもあり、低い段丘は数メートルである。段丘は海岸段丘と河川段丘に分けられるが、高さによって最高位段丘、高位段丘、中位段丘上位面、中位段丘下位面、低位段丘に分類したり、高い段丘から第一、第二、第三段丘と呼ぶこともある。山地は火山などの地殻変動によってできるが、段丘は氷河時代の海進や海退の影響を受けて形成することが多く、その年代も新第三紀の鮮新世が過ぎた約百万年以後の第四紀の洪積世からである。瀬川秀良の『西桔梗』(一九七四年)や、「渡島半島海岸段丘の対比とその14C年代」-函館大学論究第十輯(しゅう)-では亀田および函館周辺の段丘を、高い平坦面の順に鳴川面(標高四六〇~三六〇メートル)、鱒(ます)川面(二〇〇メートル)、赤川段丘鈴蘭丘面・一七〇~一〇〇メートル、中野町面一〇〇~九〇メートル)、日吉町段丘(六〇~五〇メートル)、函館段丘(一八~一七メートル)、沖積段丘に分けている。鳴川面は七飯町の第一段丘で、蒜沢川上流に鳴川面堆積物がある。段丘は段丘を形成した堆積物によって成因が判断され、その堆積物に含まれている木片などによって形成の年代が調べられている。最も高い鳴川面は横津岳下部溶岩の上に堆積した安山岩の礫(れき)や粘土で、成因は山麓面によるものと考えられている。鱒川面は七飯町の第二段丘に対比されるもので、函館では古い段丘であるが、亀田では明らかでない。亀田における標準となった最も広い段丘面は赤川段丘で、亀田川から東へ汐川以東にまで続いている。広範囲に発達した赤川段丘鈴蘭丘面中野町面に分けられる。亀田では東山、陣川の地域で、この段丘が形成してから地殼の変動による増傾斜運動が起こり、高い所で段丘面が急傾斜となり、低い所では緩やかになった。亀田川以西では鈴蘭丘面中野町面に似た段丘が発達しているが、段丘を構成する堆積物が異なり、鈴蘭丘面中野町面とは呼ばない。赤川、中の沢の高い面は鈴蘭丘面に対比されるが、古火山扇状地上面であり、低くて中野町面に対比される面は古火山扇状地下面である。この地域から七飯町にかけての、中野町面より下に広がる段丘は新火山扇状地である。亀田川をはさんで段丘形成に大きな違いを生じたのは、赤川段丘の増傾斜運動によって北西部が高くなったためであると考えられている。亀田川以東の鈴蘭丘面中野町面は、堆積物から中野町面が海岸堆積物と考えられている。これは同じ赤川段丘でも高い鈴蘭丘面の堆積物が基盤の風化角礫などを含んでいることと、海による浸食面が確認されていることなどからである。標高一〇〇メートルの中野町面が海岸堆積物であったことから、ある時代には赤川段丘の一部が海水で覆われていたことがわかる。中野町面より低い日吉町段丘は、亀田の桔梗から汐川に至る一帯に発達している。西桔梗付近では西桔梗面と呼んでいるが、この一帯は西桔梗面の上に新火山扇状地を形成した堆積物が覆っている。日吉町段丘である西桔梗面は、中野町面ができてから海進、海退によってできた海成堆積物の段丘である。函館段丘は本町、柏木町などにある段丘で、西桔梗でもわずかな堆積物が認められるようである。