一『利益と認める可きもの』
①村民の一部、鉱山により生計を立てる者あること
②村経済に利益を与えること 以上の二点である。
<所見>
前者については、商業を営むものや鉱山に使役されている者もいるが、それは古武井地区全戸数の二割を超えることはない。後者についても、決して著しいものではない。従って、古武井地区・尻岸内村として、また、村民それぞれに受ける利益も、さして大きいものではない。という状況に対して、
二『鉱山のために損害を蒙ると認められるもの』
①農業に及ぼすもの
②林業に及ぼすもの
③水産業に及ぼすもの
④公衆衛生に及ぼすもの 以上の四点が指摘される。
<所見>
①農業について
尻岸内全村を通して農業を専らとする者二〇戸に過ぎず、鉱山の被害があってもそれほど大きなものではない。だが、最近、漁業だけでは生活が成り立たず、農業を兼ねることについての声や、その方策を模索する動きがある。これが実行に移されれば、古武井地区は少なからず打撃を受けることになる。即ち、古武井川下流半里の地帯は、水田または畑地として利用可能な地相をなしているが、昨今の古武井川の状況では到底この計画(水田・畑)の実施は不可能である。
結論的に、農業の蒙る被害はあるが、その経営規模が小なるため、村民のこれによる苦痛(被害意識)、現在においては痛切なものとなってはいない。
なお、参考のため、尻岸内村当局が村議会に対して「本村新田を設けること」を諮問し「女那川・古武井両部落、将来に於いて稲作普及相成るよう希望」したのは、古武井鉱山閉山後の大正7年(1920)のことであった。
②林業について
林業に及ぼす被害は甚大である。亜硫酸ガスの排出が多量の時は表に出るのも大変である。鉱山の大規模な操業が開始されてから一〇年を経過している。
付近(精錬所)の樹木は殆ど枯死し尽くした観ある。且つ精錬に使用する薪材は一年に二万梱(単位不詳)ずつにして、これを付近から伐採したため大樹は大部分失われ残すは稚木のみである。煙害の及ぼす範囲内には樹木なしと言っても過言ではない。ただ、この煙害が海岸付近にまで及んでいないのは風向きのせいと思われる。
なお、本村の林産、大正4年から同7年にかけては「薪炭」を除けば『木材』の産額は全くない。大正中期になって「本村の海岸及び渓沢の森林乏しくなり、薪炭及び建築用材にも困窮を生じるのみならず、漁村として、魚付きには重大な影響あり」と、村有林を中心に植林・造林事業への関心が漸く払われてきている。
③水産業について
鉱害が最も深刻な影響を及ぼしたのは、同村の基幹産業ともいうべき水産業へである。
漁業者側はその被害状況を次のように訴えている。
○魚類その他水産動物で絶滅したものあり。古武井川では、マス、ヤマメ、サケ、ウグイ、ウナギ、ドジョウ等は全くその影を失う。
海産魚類では、ソイ、アブラコ、ガヤ等の磯付魚は今日漁獲することも稀で、タイ、スズキ、カレイ、テックイ、カスベ等も減少している。また、イワシは近来岸に近づく事がなくすべて沖合を通過する。その他、貝類、ナマコ、ウニ等も減少のみならず、その採集捕獲も濁水混濁のため困難である。
○海藻類の減少は著しく、ギンナンソウ、フノリは部落(古武井)前の岩石に生じることは極めて少ない。コンブは一般に小型になり、真昆布にあっては一年生で流失するものがあり、従って産額も減少している。また、泥土を被ったコンブは品質が劣等とならざるをえない。コンブ漁で最も苦痛を感ずるのは、海水汚濁のため海 底を覗くことができず、採集の機会を逸する事である。
○魚網の被害あり。地曳網、建網は凡て泥を以て満されることがある。また、そうならなくても網糸に付着した泥土は容易に落ちず、網の保存年限(寿命)を短縮すること甚だしく通常の半分を保つ得るのみである。
半田技師の実際調査所見
<魚類その他水産動物の被害>
河川に生息していた魚類の絶滅したことは事実である。即ち昼夜を揚げず流下する泥灰のため、到底漁民の称する魚類の生息を許さない。そればかりではなく直接または間接魚類の餌料となる生物さえもみることができない。この点疑う余地はない。
これを海に於いて見れば、磯付魚その他魚類がこれまで(鉱山操業前)と比較し、減少したという統計的事実がない以上、それは具体的に断定を下す事ができない。しかし、この川口は勿論、古武井海岸は常に汚水に覆われているのは事実である。魚類は自然、清澄な方向に移動するものと考えざるをえない。これの化学的刺激の如何は暫く揚げておき、物理的に考えてみる。魚は水中に浮遊する微細な泥灰の粉末により、鰓(えら)による呼吸作用を完全に行うことができなくなるのは勿論である。また、これに準じて、その汚水の範囲の一般動物も次第に影を失うのは当然である。
その被害区域を見ると、大雨のため川水が著しく増加する以外は、主として川口を中央として沿岸約四キロメートルの間が消長(汚水が)するに過ぎないといえども、その四キロメートルの中(うち)、約二・二キロメートルは常に混濁し且つ濃度著しく、沖出距離は平常三~五日間が最大であると言われているが、極めて静穏な日は約二キロメートルの沖合まで濁ることがあると言う。この汚濁の範囲内(四キロメートル?)にあって魚類を調査した結果、ウニ、ヒトデの類は一~三尋(水深)の部分で捕獲したが、貝類は凡て貝殻のみで、磯付魚の捕獲も試みたが遂に捕獲することができなかった。
以上、漁民の訴えている被害は認められるものである。
<海藻類の被害>
「長切昆布・元揃昆布」について明治四十三・四十四(1910・11)の産額を比較しての所見、の産額過去に於いては五百乃至七百石が平均数であるが、今日では右の表のように減少している。(註 この表見当たらず数量不詳)ただ、産額の減少だけに止まらず、品質が劣ってきている。往年は尾札部産に次ぐ良質品を産出していたが、今日は、根田内、日浦産のものに比べ、百石について約百円の廉価であると市場では見ている。
北海岸に於ける昆布を実際に見ているが、常に濁水に覆われている水域の昆布は果たして生育できるのかどうか、覗くことができず実態を把握できない。しかし、時々濁水に覆われている水域を見ると、波浪の静穏な部分の岩石は泥土が沈積し、昆布は表面一面に泥土が付着している。これを採り故意に泥を落とすことなく乾燥したものを見ると、表面の八分通りは泥が付着したまま、中帯部分は殊に甚だしい汚れである。これは昆布の表面に生えている毛茸(もうじ)の吸収作用が十分できないからであると考える。漁民が言っている、昆布が小形になるという事実があるならば、この関係(毛茸(もうじ)の吸収作用が十分できない)によるものと思われる。泥土の付着した昆布は乾燥前に洗浄するというが、容易に完全な脱泥を行うことができず、結局、品質の劣等化は脱がれない。
また、一年生昆布(ミズコンブ)の流失するのはなぜか、これは、恐らく泥土に覆われた岩石上に生じた真昆布は、成長するにしたがって波浪の抵抗面積を増大し、泥土のため根の岩面に吸着する力が弱まり、ついに剥離してしまうのではないか。一年生昆布(ミズコンブ)流失は、即ち、翌年の真昆布の生産減となるのは明らかである。
結論的として、古武井鉱山の公害による地元漁民への被害は、全体として認めざるを得ない。
<古武井鉱山側の弁明・反論に対して>
鉱山側は「水産業の被害があるとすれば、先年、濁水中にイワシの大漁があったのはどのような理由によるものなのか」と称し、これを無実(公害の)の口実としているが、既に述べたように、イワシの豊凶は鉱山の有無に直接関係がない、これは到底弁明とはならない。また、鉱山側は「残灰は、近来肥料製造の原料として移出しているものである」と称し、これを速断して「海藻に及ぼす残灰の影響はむしろ有益である」と言い切っている。尤も、海藻成分中に硫酸塩があることは事実である。また、オスタトウト氏は、蒸留水中にて海藻を培養する試験結果を「塩化マグネシウム及び硫酸マグネシウムを他の塩類と混ぜて蒸留水中に入れると、海藻の生長は大変よい」と述べているが、鉱山側の言い分は決してこのような理論的な見解を基にしているものではなく、ただ、所謂(いわゆる)、素人観に過ぎず、まして、残灰中の硫黄が硫酸塩に変化する過程などの説明すら出来ていない。その他、昆布、網地に対する被害に関しては、確固たる弁明を聞くことができなかった。
このように鉱山側の弁明は、残灰による水産業への被害を反省するどころか、「残灰は肥料製造の原料となり、海藻に及ぼす影響はむしろ有益である」と主張する、こじつけ的特異な論理(反論)に終始したが、それは全く弁明に値しないものであった。
④公衆衛生に及ぼすもの
半田技師は「鉱山が発生する亜硫酸ガスが、人体に有害であることは明白である」と言う前提で次表の調査をしている。
古武井硫黄鉱山の死亡率・死産率、函館支庁管内との比較 (明治41~43年)
<所見>
この表によれば、鉱山従業者の『死亡率・死産率』ともに支庁管内に比し極めて高い。
鉱山側は、伝染病の発生は稀であるという。と、すれば死亡率の高いのは、改めて注目に値する。また、従業者の健康状態は良好であると称しているが、その被害(亜硫酸ガス)は、漸次に来るものである。死産の多いのは、労働状態その他(衛生状態)に原因するものであると言っている。が、空気が不良(亜硫酸ガスにより)であることは事実である。即ち、鉱山における衛生状態は良好だとはいえない。但し、坑夫の場合(死亡の)は、衛生状態の悪いのが原因ではないとすれば、空気の不良が原因と考えざるを得ない。
以上の事実から、古武井村の状態についても視察したが、現状では具体的な被害は見つからなかった。また、村民も特別意識もしていないし、意見(苦情)も持っていない。
推察するに、古武井村の空気中に亜硫酸ガスが混在していることは歪めることのできない事実である。その量の多少に関わらず村民の健康に無関係だとは言い切れない。
なお、参考資料として、次の文献を原文のまま付記する
北海道警察編「北海道衛生雑誌」大正3年(1914)刊
『特殊の職業に基因する生死状態』
この時代、鉱山・トンネル工事・窯業、セメント等に従事する労務者の労務管理・健康状態については、国の関係機関でも相当注目し、また、遅れ馳せながら指導も行うようになってきた。これらの労務者が、国の基幹産業を支える重要な役割を担っているという認識も勿論あったであろうが、相当な悪条件の中で、過酷な労働を強いられている現状から、目を逸らすことができなくなったのがその大きな要因であろう。
吾人は新陳代謝の作用によって生活機能を営むものにして、外界よりは空気、水、食物を採る。而して体内に生ぜし温、水、炭酸及びその他の排泄物を以てこれに代るものなり。故に外界の物質、殊に空気、水、土地、食物等に変化あれば、吾人の身体に必ず影響を及ぼすは勿論なるも、尚職業の関係、精神上の感能、労働の程度等によっても、亦、大いに健康に及ぼす影響あるは、免がれ得べからず処なりとす。
故に、石炭、硫黄、セメント或いは火山灰の製造所等に於ける鉱夫、若しくは労働者の如きガス、塵芥、その他の不潔物、若しくは夾雑物多き空気中に労働する、特殊の職業に従事する者にあっては、その職業に基因し、身体の健康に及ぼす不良の影響あるは勿論なりとす。本道に於けるこの種の関係、即ち、石炭、硫黄の鉱山並びにセメント製造所所在地の町村に於ける出生・死を見るに頗る憂うべきの状態を示しており、試みにこれを同一郡内に於ける、しかも気候風土に大差なき他の町村、若しくは同一町村内に於いてその職業に従事する者と、否(しか)らざる者によって比較するに、次の如く、鉱山所在地に限っては著しく出生率低きが志望死産並びに幼児死亡の率にあっては、破格なる高率を示しており、之に由って是を観るも、職業の関係が、吾人、生命を支配するは如何に大なるかを察知するに難からざるなり、しかしながら、直接職業関係とのみ認め得られざるは、出生・死産若しくは幼児の死亡にして病類別により観察するに、結核、微毒等の蔓延は確かに一因をなしてあるもの如し、如上の関係は大いに研究を要する事柄なりとす。
三 結論
古武井村に於ける硫黄鉱山による被害は、農、林業に於いても相当の被害が認められる。水産業についてはそれがより明白である。この、古武井村の村勢から見れば、農、林業の被害よりも、水産業の被害が最も重大であると言わなければならない。何となれば、村民の生命を維(つな)ぐものは一里有半の海岸に於ける漁業に在るからであり、即ち、ここに被害の事実を認めた以上は速やかに、救済除害の法を講ずる必要があると信ずる。
○古武井川の現況は、一リットル中に、泥灰〇・五五四グラムであり、泥灰の含有量、最大許容量一リットル中〇・〇〇一グラム以下とする目標値まで下げる具体策、『沈澱』『濾過』等の手段を講ずるべきである。それらの施設に要する地積は、青盤精錬所付近に十分求める事ができる。