現在の地形

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 北海道はカスペのような形をしている大きな島である。北東に頭を向けたと仮定すると頭の先にエトロフ島など千島列島が点々と伸びてカムチャッカ半島に続いている。片方のひれは稚内であるが、さらに樺太が先にあり、樺太の北部は間宮海峡と呼ばれた非常に狭い海峡をはさんでアジア大陸がある。もう片方のひれに相当するのが日高である。ここには地質学的に重要な日高山系があって尾根で東部と西部が二分されている。尾に相当するのが、石狩平野と勇払平野を結んだ低地帯から西南部で渡島半島がある。半島の先端部はあたかも魚の尾びれのように開いて松前半島と亀田半島に分かれているが、椴法華村は亀田半島の先端にある。亀田半島と松前半島の対岸は津軽海峡をはさんで下北半島と津軽半島がある。その距離は二〇キロあまりである。
 椴法華村をみるとき、北海道の地形の形成と密接な関係があり、その北海道は周辺地域と関連している。地形は常に動く生物のように変化している。火山活動だけでなく海浸や海退によって十年、百年、千年の単位でみると意外な地形変化がある。人間が生活する環境の変化でもある。さらに時代をさかのぼって十万年、百万年とみると現在とは全く違った地形であった。火山活動など地殼変動によらない地形の変化の原因になったものに氷河時代がある。この氷河時代には、世界が氷にとざされた時代のことでヨーロッパ大陸やアジア大陸の大部分が厚い氷で覆われていた。地質学的にみると約五十万年の間に大きな氷河時代が四回あった。氷期になると海水面が低くなり、陸地が広がるが暖期になると大陸の氷が解けて海に流れ出し、海水面が上昇して陸地が少なくなる。こうした気候の大きな変化によって陸地の地形も変っていた。急激な変化の現象は、陸地にみることができる。海岸線にみられる平坦な丘陵は平野部から山にかけて、何段にもなっていることがある。その段丘を川が削って深く切り込んでいるところをみると、高い段丘に丸い石が層をなしていたり、砂の層がある。海の砂の層がどうして高い丘にあるのか不思議に思えることがあるだろうが、これが氷河時代に形成された段丘で、かつての海岸線となっていたところでもある。丘陵の海岸線から海進海退といって、海岸線が内陸部に入っていたり、ところによっては陸地が海に伸びていたところもある。
 椴法華村をみると、平野部と山岳部に分かれる。矢尻川が流れる平野部が椴法華の主要地帯である。この平野部を海岸線から矢尻川をさかのぼるように追ってみると、銚子と浜町に砂丘の発達がある。南北に伸びる砂丘は海岸線に沿って発達しているが、この砂丘に縄文時代の終りから続縄文時代の遺跡がある。いまからおよそ二千年前であるから、この砂丘はすでに二千年前にあったと考えられる。砂丘をボーリングすると黄褐色の粘土層があって、その上に砂層がある。この黄褐色の粘土層は洪積世といって少なくとも一万年以上前にできた地層であるから、銚子や浜町の低い地形も一万年以上前にすでにあったことになる。この砂丘は高さが七メートルから十メートルしかないが、海岸近くは海で浸蝕されているので、かつてはもっと海に広がっていたことがわかる。洪積世の黄褐色の粘土層は、この低い砂丘だけでなく、道々元村尻岸内線が走る段丘や赤井川の中流域、絵紙川の流域にもみられる。段丘などの平坦なところでは堆積が厚いが山などでは薄い層になっていて、その下部に砂層や丸い石の層があったりする。椴法華村の南隣りである尻岸内町の日ノ浜では古武井川の左岸地域で砂鉄を大規模に掘り出したことがある。高さが三十メートルから四十メートルの高台であるが、黄褐色の粘土層の下に五メートルもの砂の層があって多量に砂鉄を含んでいた。この砂鉄を山砂鉄と呼んでいるが、日ノ浜の海岸のように、この高台が一万年以前には海岸であったところである。
 椴法華村の地形図を広げて、二十メートル、五十メートル、百メートルの等高線を追ってみると地形がもっとはっきりする。椴法華村は、矢尻川を中心とする平野部と両側からせまる山地に分かれる。二十メートルの等高線は、島、八幡町、銚子といった現在の集落形成地帯を含んで海岸近くでは広い平野部を囲んでいるが、海岸から五百メートルほど矢尻川をさかのぼると急に狭くなっている。さらに五十メートルの等高線をみると銚子岬の南側から矢尻川の上流域である栳岱川近くまで奥に入り、矢尻川に沿って中流域から東に富浦へと伸びる。道々椴法華港線では急な崖になるが、椴法華港から水無にいたる間にはやや平坦な段丘が発達している。二十メートル等高線から五十メートル等高線の間は、畑地や植林地帯になっているが、この地域も銚子岬から矢尻川上流にかけて帯状に発達し、さらに南側では、天理川、矢尻小川、八幡川、番屋川が流れる丘陵地帯を形成している。百メートルの等高線をみると、矢尻川の北西部は五十メートル等高線にほぼ並行しているが、絵紙川から栳岱川地帯で平坦な段丘面が形成されている。国道二七八号線は、この高岱を走っているが、北西部が山地の一部で傾斜が急であるのに対してゆるやかな台地になっている。平坦な段丘面は、冷水川から天理川にいたる間に発達しているが、同様な地形は元村から水無にかけてもみられる。
 このように椴法華村の地形には特色があるが、海岸は砂浜と際立った崖に分かれる。その比率は三分の一が砂浜で三分の二が崖となっている。海岸の崖は海の浸蝕によるもので以前はさらに海に伸びていたところである。矢尻川と等高線でみる地形も、平野部から主流となる河川の上流域によくみられる地形である。それはあたかも平野部が海に沈んでいき、上流域だけが残り、高い丘や山裾が海の浸蝕で削られ、海岸線が崖になってしまったようであるが地質時代のある時期に陸地が海に沈んでしまったのである。それは、最後の氷河時代が過ぎて大陸の氷が解け、海水面が上昇したときである。現在の北海道の形は、このときにできあがり、椴法華の地形もできた。それから二万年近い年月の間に火山の噴火などで変化したところもある。